古い車輌の写真

学生時代の合宿 2 仙台運転所 1

ED71 10

RJ118 Web#=453 掲載2010/2/14

写真1はED71形ED71 10、1966/8/3仙台運転所にて。

ED71形は1959年から作られていた水銀整流器式交流電気機関車で、長さ14.4m、重量67.2tと小型ながら出力は2040Kwと強力でした。大型直流電気機関車EF15形は長さ17.0m、重量102.0tもあったのに出力は1900Kwでした。撮影した頃は大量に配属された新鋭のED75形に押されて、軽い運用に就いていました。

ED75 71

写真2はED75形ED75 71、1966/8/3仙台運転所にて。

仙台運転所を訪問したときは、技術者の方から如何にED75形が優秀な決定版交流電気機関車であるかというレクチュアがあり、屋根の上に登って高圧機器を見学させてもらいました。信頼性の高いシリコン整流器式交流電気機関車で、長さ14.3m、重量67.2t、出力は1900Kwで、302輌も大量生産されました。

C62 49

写真3〜5はC62形C62 49、1966/8/3仙台運転所にて。

大きなハドソンC62が客車列車を牽いて仙台運転所に進入してきました。あまり上等でない客車を連結しているので、仙台近郊の通勤通学列車だったのでしょう。列車から切り離されて、長町機関区に回送されるのでしょう。

東北地区で必ず装備されていたシールドビームの補助灯が目立ちます。ボイラーの縁が丸く仕上げられているので、平たいドームと相俟ってボイラーの太さがますます強調されている印象があります。

どうもこの手の丸い縁のボイラーを持った中途半端な流線型(C59〜C62)は好きになれず、あまり写真を撮っていなかったのは残念です。

C62 49は49輌作られたC62形蒸気機関車の最後で、1944年の日立製作所製D52 104のボイラーを流用して汽車製造で1949年に作られました。戦時製のボイラーは状態が悪く、後年鷹取工場で新製されたボイラーと交換しています。

1966年に平までの電化完成に伴い、平機関区に所属していた12輌のC62の内5輌は呉線に転属しましたが49号機を含む残りの状態が悪い7輌は廃車となりました。C62の最終番号機であり、特急ゆうづるの牽引にも活躍したためしばらくは保存先を求めて保管されていましたが、1968年に解体されています。

スエ30 28

写真6はスエ30形スエ30 28、1966/8/3仙台運転所にて。

スニ30形荷物車から改造された救援車スエ30 28が待機していました。

この頃の仙台運転所には急行列車等に使われていた旧型客車を格下げ改造した通勤用客車がたくさん在籍していました。スハフ34とかスハ50、マハ29等です。また最初のお座敷客車スハ88やオハフ80なども配属されていました。詳しくはこちらをご覧下さい。

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