古い車輌の写真

同和鉱業 片上鉄道 1 DD13とキハ700

RP041 Web#=107 掲載2008/3/29

同和鉱業片上鉄道線は柵原鉱山で掘り出される硫化鉄鉱を片上港まで運び出すために、地元有力者と藤田組が資本を出し合って建設しました。開業は1923年で鉱石運搬だけではなくて旅客営業も行われ沿線住民の足となっていました。

主要な貨物が比重の大きな鉄鉱石であったため交換駅の側線が充分に長く、線路の規格も地方の鉄道としては例外的に立派なものでした。戦後の復興に伴いコンクリート枕木が使われるまでに整備されていました。またここの検車区は写真のようにとても綺麗に清掃が行き届いていて、うらぶれたローカル鉄道という印象が全くありませんでした。

旅客営業は貨物列車の合間に行われるようなもので、永らくキハ06やキハ07という古い系列のディーゼルカーが活躍を続けていました。柵原鉱山が閉山になり硫化鉄鉱の貨物輸送が無くなると、過疎の町や村をつなぐだけの片上鉄道は営業を続けることが出来なくなり1991年7月1日に全線が廃止されました。

ここを訪問したのは1974/6/9のことです。

DD13-553

国鉄のC11やC12と同型の蒸気機関車が活躍していた片上鉄道の動力近代化はこの5輌のDD13によってなされました。DD13は元来都市のヤードで入換仕業に就くために開発されたディーゼル機関車なので軸重が大きかったのですが、立派な線路を持つ片上鉄道では牽引力を買われて主力機関車として長く使われました。写真のDD13553は1967年に日本車輌で作られ、貨物列車の削減に伴い1988年に廃車となりました。

DD13-556

ここのDD13は国鉄のDD13形とほとんど同形でしたが、長編成の鉱石列車を牽引するためにインタークーラーを装備してエンジンの出力が増強されていました。写真のDD13556は貨物列車の廃止に伴い同じ系列の同和鉱業小阪鉄道に移籍され、現在も硫酸タンカーを主体とした貨物列車を牽引しています。

なお同僚のDD13551は、柵原ふれあい鉱山公園で片上鉄道保存会の手によって動態保存されています。

キハ702

キハ700形は国鉄のキハ07形3輌を1967年に譲り受けて、キハ700形キハ701〜703としたものです。入線してすぐに屋根にあったヘッドライトを撤去して、腰板にシールドビームを2灯取り付けてデザインの印象が変わってしまいました。写真のキハ702は1936年川崎車輌製の元国鉄キハ075で、現在は柵原ふれあい鉱山公園で片上鉄道保存会の手によって動態保存されています。

キハ703

キハ703はキハ702と同時期に入線しましたが1981年に廃車となりました。僚車のキハ701は1980年に廃車となり水島臨海鉄道に譲渡されてキハ321となりました。

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