古い車輌の写真

花巻電鉄 1 花巻にて

RP077 Web#=144 掲載2008/6/9

花巻電鉄は1915年?から1969年まで岩手県花巻市の国鉄東北本線花巻駅から花巻温泉までの鉄道線7.4Kmと、鉛温泉までの軌道線18.6Kmを運営していました。ゲージは2フィート6インチの軽便鉄道です。ここの名物はなんといっても写真1の軌道線で運用されていた細い電車(デハ3)です。これは併用軌道が狭い道に建設されたために車輌限界がとても細くなったためです。しかも雪国なので冬季の積雪からモーターを守るために普通よりも車輪径が大きく(つまり一段と背が高く)設計されていました。その形から鉄道ファンには馬面電車とかハーモニカ電車とか呼ばれていました。強い風が吹くと倒れソー。1966/8/4花巻駅に隣接する検車区で撮影。

写真2は国鉄接続駅である花巻駅を出発して行く軌道線の電車です。軌道線と鉄道線は次の駅まで同じ線路を共用していて、次の駅西花巻で分岐していました。軌道線の電車はご覧のとおりトロリー・ポール集電。撮影は1966年ですが、この頃は軌道線の車輌限界も拡幅されていて、一人前の巾を持った電車が運行されていました。

写真3と4は鉄道線の電車が花巻駅に入ってくるところです。鉄道線はご覧のようにZ形パンタグラフで集電していました。鉄道線も軌道線と同じ2フィート6インチゲージの軽便鉄道でしたので、通常の路面電車よりも巾が狭い電車でした。

ここの列車は軌道線も鉄道線も同じ様に、電車+付随車という編成、終点では機回し線で電車を先頭に付け替えていました。開業当初の花巻は軌道線から直接乗り入れができなくて、スイッチバックしていたようです。花巻駅周辺の線路の配置はかなりややこしい変遷をたどっています。

写真5は鉄道線のちっちゃい列車が花巻駅を離れていくところです。架線は簡易な直接吊架式、架線柱も細い簡易なものでした。

真夏の真昼間でしたが、東北地方の気温は涼しくて快適だったことに驚き!

開業当初の花巻駅では銀河鉄道のモデルになった岩手軽便鉄道とレールがつながっていました。これらの軽便鉄道は詩人宮沢賢治や高村光太郎が利用して湯治に通ったことでも知られています。

花巻駅に隣接する検車区です。建屋は3線収容で屋外にもたくさんの側線や留置線、放置線?が敷設されていました。この頃の地方鉄道の車庫裏は宝のヤマ、古い客車や貨物営業の廃止以来使われなくなった電気機関車、貨車が置き去りになっていました。

車庫の左は本線、その左は駅の側線、その左手遠方は交流電化されている国鉄東北本線です。


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