古い車輌の写真

両備バス株式会社 西大寺鉄道線 1

RP100 Web#=178 掲載2008/7/15

西大寺鉄道は1912年に西大寺市〜後楽園間11.4Kmが全通した3フィートゲージの軽便鉄道です。この日本では珍しいゲージは北九州の軌道や軽便鉄道で多く用いられましたが、それ以外のところではここが唯一の例です。当初は当然蒸気機関車による営業でしたが、1931年に小型のガソリンカーが導入されフリークェントサービスが提供されていました。1939年には入手困難になったガソリンの代用となる木炭ガス発生器を積んだ気動車を開発しました。1955年には両備バス株式会社と合併し、その西大寺鉄道線となりました。1962年の国鉄赤穂線開通に伴い同年に黒字営業のまま廃止となりました。

西大寺市駅に隣接する車庫を訪問したのは私が鉄道ファンになって間も無い頃の1962年春でした。ごく初期の撮影行なのでメモを取り日記をつけるという習慣が有りませんでした。大事な主力車輌のボギー気動車の写真も撮らず、味わい深い建物の写真が全くのゼロで後悔しきりです。ゲージこそ3フィートと若干は広かったのですが、実際の車輌の大きさは普通の軽便鉄道と同じでした。

キハ3〜5

1931年に大阪に有った梅鉢鉄工場製(後の帝国車輌)のガソリンカーが5台導入されキハ1〜5となりました。そのうちキハ1と2は後に流線形に改造されたため、写真1はキハ3〜5の内のどれかです。

このキハ1形は小型の単端式気動車(定員20名)にも関わらず、輸送力を確保するために常時1両の木造ボギー客車(定員50名)を連結して運転されていました。エンジンはフォードの自動車用40馬力の非力なものでしたが、全線が平坦であったため実用になったようです。

キハ8 or 10

1934年に梅鉢鉄工場で作られたボギー式ガソリンカーであるキハ100は最新鋭の特殊な駆動装置やブレーキが祟って故障が頻発し実用にはならず代用客車として使用されていました。1949年にこのキハ100を真ん中から切断して2台の小型の単端式気動車に改造するという荒療治が行われ、キハ8とキハ10になりました。このときに2台とも前部が半流線形に改造されました。キハ100は車体構造が前後で非対称だったために、キハ8とキハ10では側面の窓や扉の配置が異なっています。写真2は前からの写真なのでキハ8か10かの判別が出来ません。

木造オープンデッキ客車

西大寺鉄道に在籍していた客車は全て同じ様な構造のモニタールーフ、オープンデッキの背が低い木造ボギー客車でした。

これは日本の古い軽便鉄道の客車としては典型的な形をしていました。

池田動物園の保存客車

岡山市内の池田動物園には井笠鉄道の2号蒸気機関車(標記は3号)と並んで西大寺鉄道の客車ハボ13と貨車ワ3が保存されています。極端に小さなアーチバー台車に注目してください。

岡山市内の池田動物園にて1967/3/28撮影。

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