古い車輌の写真

大物車 1

シム3

RJ050 Web#=181 掲載2008/7/18
この記事は吉岡心平氏の著書「大物車のすべて」によって書いたものです。ここに記して感謝を表したいと思います。

1966/12/27東海道本線熱田駅で撮影したトン15積低床式大物車シム1形シム3です。日本車輌本店が自社で製作した路面電車の車体を運ぶために1923年に作った低床式大物車で、当初はオシウ70形オシウ72と名乗っていました。最初は10トン積(木造路面電車の車体だけだと軽いものです)でしたが、後日改造を受けて15トン積となりました。アーチバー台車で竣工しましたが、1961年にTR41に履き替えて高速運用(75Kmh)が可能となりました。背景に白く光って写っているのはザンビア向けの銀色のゴンドラカーです。

シキ45

1969/3/25安治川口ヤードで撮影した30トン積低床式大物車シキ40形シキ45です。戦前に作られた30トン積低床式大物車の決定版で、22輌も作られました。番号はシキ40〜59、240〜261となりました、これはシキ60形とシキ150形が既に在籍していたためです。

シキ247

1970/3/17安治川口ヤードで撮影した30トン積低床式大物車シキ40形シキ247です。リベットだらけで枠組がむき出しの低床式車体とアーチバー台車は古い貨車のファンにとって、なかなか魅力の在る貨車です。

シキ64

1969/3/25安治川口ヤードで撮影した50トン積低床弓形梁式大物車シキ60形シキ64です。1923〜1924年に2輌作られ、1944年に5輌が田中車輌で増備されました。アーチバー式ボギー台車を4組も装備する、当時としては画期的な大型大物車です。巨大な要塞砲の砲身を運ぶためにこのシキ60形を2台連結して、弓形荷受梁2台にまたがる長大なプレートガーダー橋のような荷受梁を載せて運用されたことがありました。

この標準型の弓形梁の他に落し込み式の荷受梁や回転式の荷受枠(森林鉄道で用いられているディスコネクティッド・ログカーのようなもの)も用意されていました。

シキ85

1970/3/17安治川口ヤードで撮影した30トン積落し込み式大物車シキ80形シキ85です。床中央の大きな穴に貨物を吊り下げるようにして運ぶ方式です。シキ80形は1936年から1942年にかけて7輌が田中車輌(後の近畿車輛)作られました。

シキ203

写真6はシキ200型です。これは熔けた銑鉄20トンを高炉から取り出して次の工程(製鋼工場、多分当時の技術だと平炉)へ運ぶための貨車です。最初は製鉄所の構内だけで運用されていたようですが、国鉄の線路を通過する必要が出たので国鉄の車籍を取得し私有貨車となりました。吉岡心平氏のサイトや著書によるとシキ200は途中で国鉄の車籍を失った時期があり、初代と2代目(一部が同じ車輌ではないようです)が存在していました。シキ200と言うべきものは台車と弓形梁の部分までで、熔銑が入っている容器(トリベ・取鍋)は積荷です。したがってコンテナに入った貨物を運ぶのだからコキになるのかな? 液体の貨物を運ぶのだからタキかもしれません。陽炎をユラユラとさせながら目の前をゆっくりと歩くぐらいの速度(積車でMax15Kmhだそうです)で去っていきました。台車はご覧のようにあまりバネの効いていない様な簡易な産業用ボギー台車でした。1963/3/30浜川崎ヤードにて撮影。

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