古い車輌の写真

ワム 1 木造ワム

ワム1900形ワム1925

RJ061 Web#=201 掲載2008/8/6修正2 2013/11/22

写真1と2はワム1900形ワム1925、1970/7/12東海道本線西宮駅にて。

これは台湾総督府鉄道部向けのワタ16000形として日本車輌で製造された貨車ですが、戦争が激しくなって台湾までの海上輸送ができなくなり日本に残されたものの転用です。1944年製造の100輌が1946年に国鉄のワム1900形ワム1900〜1999となりました。台湾向けということで車軸は12t短軸でした。1968年(所謂ヨンサントー)のダイヤ改正に備えて、まだ残っていた96輌が2段リンク式に改造されましたが1974年までに全車廃車となりました。

国鉄(当時は鉄道院)の線路を広軌化(1435mm)しようとする議論が大正時代に起こりました。広軌化を考えて1918年から客車には巾のある大型台枠と車輪の位置を変えると広軌になる車軸の長い長軸台車を採用してナハ22000系が誕生しました。結局技術者が負けてローカル線の我田引鉄を主唱する政治屋が勝ち、広軌論の遺産として長軸車輪だけが残りました。

旧型客車と2軸貨車は原則として長軸が採用されています。2軸有蓋貨車については長軸の貨車と短軸の貨車が作られていますが、数の上では長軸が圧倒しています。写真1の短軸貨車ワム1900形は100輌だけですが、同じ車体を持つ長軸のワム50000形は3645輌もの新造プラス私鉄買収の3輌が在籍していました。

ワム3500形ワム6095

写真3はワム3500形ワム6095、国鉄鶴見線浜川崎機関区の救援車代用車1963/3/31撮影です。

短軸車輪を持つワム1形が1767輌作られましたが、同じ車体で長軸車輪を持つワム3500形は11248輌もの大量生産が行われました。

ワム3500形ワム13733

写真4はワム3500形ワム13739、国鉄鷹取工場にて1964/9/4撮影です。車体の番号が抹消されていて、車籍の無い移動可能物置のような使われ方でした。もう本線に出ることは無いのか、車輌限界を無視した構造の窓が開けられていました。

ワム3500形ワム13490

写真5はワム3500形ワム13490、国鉄吹田第一機関区にて1966/5/28撮影です。これも救援車代用でした。

ワム50000形ワム50854

写真6はワム50000形ワム50854、1972/5/1撮影です。

晩年のワム50000形は白帯を纏って配給車代用となっているのが多く見られました。これは高砂工場で使われていた例です。

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