古い車輌の写真

D52 その1

D52200

RJ068 Web#=231 掲載2008/10/19修正1 2008/11/10

写真1はD52形D52200、1963年国鉄東海道本線梅田貨物駅にて。

国鉄のD52形蒸気機関車1943年から1945年にかけて日本国内各機関車メーカー及び国鉄工場で作られた1-D-1形テンダー蒸気機関車です。当時は太平洋戦争のために内航海運が壊滅状態で貨物輸送は全面的に国鉄に依存しなければなりませんでした。

写真2と3はD52200、梅田貨物駅にて。1963年に梅田貨物駅を訪問したときには貨物駅の外れに小さな機関支区のようなものがありました。

戦争が済むまで数年持てばいいという考え方で設計され、計画では498輌作る予定でしたが、戦争の終結と共に285輌で打ち切られました。D51と同じ足回りに、より大型のボイラーを搭載するという設計方針でD51を上回る性能を狙っていました。しかし戦時中の製造のために代用材が多用され、製造の技量も落ち、工作自体も簡略化されたために非常に質の劣る蒸気機関車となっていました。

戦争中の酷使もあって、戦後はボイラーの爆発事故を3度も起こしています。そのために特に状態の悪い50輌程が廃車となり、残りは新製されたボイラーへの交換、ストーカーの搭載、代用材の交換整備などを行いました。その結果やっと当初の設計どおり1200トン牽引が出来るようになりました。

D52355

写真4はD52355吹田第一機関区にて。このページで撮影されているD52は本来の性能が発揮できるようになって、吹田第一機関区に配属され、東海道山陽本線の貨物列車と国鉄最大の貨物ヤードである吹田操車場での重入換作業に従事していました。右側に旧塗装のDD13が見えます。

梅田貨物駅を出発して吹田に向かうD52

阪急電車の中津駅高架橋から梅田貨物駅方面を望んだところです。この頃の中津界隈は戦前の雰囲気を色濃く残した都会の中の田舎でした。

鉄道ファンとして本気で蒸気機関車を撮影したのはこの写真が初めてでした。使用したカメラは買ってもらったばかりのオリンパス・ペンS、ハーフサイズカメラでした。フィルムが小さいと写真の質は劣ります。

D52は戦争中の空襲でもかなりの輌数が失われています。C62へ49輌改造されていますが、これはボイラーの流用だけで新製と言ってもいいでしょう。また従輪を1軸増設して地方幹線でも使用できるD62形へ20輌が改造されています。

       前のページ 次のページ