古い車輌の写真

阪急今津線 9 900系と920系

916

RP132 Web#=230 掲載2008/10/4

写真1と2は900形916、1965/2/1西宮車庫。このとき916はATSのテストをしていたのでしょうか、真新しい車上子に計測機器とケーブルを付けて庫内の同じ線路を行ったり来たりしていました。

私鉄電車にだけ見られた横型碍子の付いた大きなパンタグラフに注目してください。

阪急電鉄の900形は1930年に、神戸線用として川崎車輛(現・川崎重工業)で900〜919の20両が製造されました。当時の標準だった重い魚腹型台枠の代わりに、綿密な強度計算に基づいて梁を減らした台枠を採用した軽量構造の高速電車でした。1950年には車体の更新修繕が行われ900〜909の10輌については神戸方の運転台が撤去されました。1961年の宝塚線規格拡大後は910以降の両運転台車が宝塚線でも使われるようになりました。1966年ごろからのATS導入に伴い全車が中間車化され、さらに1500V昇圧に伴い910以降の電車は付随車化されてしまいました。神戸線では1977年まで、宝塚線では1978年まで活躍し廃車となりました。

928

写真3は920形928、1970/3/17西宮車庫。

阪急電鉄の920系電車は1934年から1948年にかけて神戸線用として56輌が川崎車輌で製造されました。900形とは違って当初からMc+Tcの2輌固定編成として落成しました。写真3の928は1936年に作られた第2次の電車です。

946

写真4は920形946、1976/1/15今津線逆瀬川駅。

946は最後に作られた第6次の電車で943〜947のMCと973〜977のTcで5編成10輌が1948年に製造されました。アメリカ占領軍の影響か新造が出来なかったようで、戦争で被災した車輌や事故で破損して廃車となった車両の車籍を使って、大修理名目で新造されています。946は名義上1945年6月15日の大阪大空襲で天満橋駅において被災した304の車籍を引き継いでおります。

971

写真5は950形971、1977/12/11今津線逆瀬川駅。

971は1941年製造の第5次の電車です。1958年から製造年次順に車体更新が行われました。最後の934+964〜942+972の9編成は、この写真のように全車が運転台を完全に撤去されて中間車化されました。

このグループの中で969〜972は電動貨車(救援車)4050形4050〜4053に改造され、現在も在籍しています。

973

写真6は950形973、1976/1/15今津線逆瀬川駅。

973は946と同じ最後に作られた第6次の電車で、名義上1946年2月に宝塚線で事故焼失した54の車籍を引き継いでおります。

920系は更新後は中間車化された900形や800形とともに運用に就いていましたが、新型車の増加で支線区に転属し1979年より廃車が始まり最後は1982年の甲陽線での運用でした。

サイト・オーナーにとっての今津線は本線で使われなくなった小型車が最後に回されてくる路線で、松林を走り抜けていくローカル線でした。そのような時代は800系や900系という中型車まででした。2000形以降の新鋭大型電車が本線と同じ輌数の長い列車で、大量輸送に活躍するようになってからはローカル線という味わいは失われました。

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