古い車輌の写真

クモハ73 1

京阪神緩行電車

RJ084 Web#=283 掲載2009/5/4

写真1は1970/6/28国鉄東海道本線大阪駅にて。クモハ73387を先頭にする各駅停車の電車です。

私のようなオールドファンにとってクモハ73系の電車に対するイメージは決して良くありません。私が1970年に就職して東海道本線の西宮駅から立花駅へ通勤を始めると、一番お世話になったのが国鉄京阪神緩行線の通勤電車でした。身近な電車の中では最も汚い、五月蝿い、揺れる、暑い、暗い電車でした。当時はブドー色(汚れても汚れてなくても同じに見える不可思議な茶色)で、3扉(クハ68やクモハ51など)と4扉(クモハ73、モハ72、クハ79、サハ78)が順不同に混結されていました。

クモハ73の前身モハ63系電車は桜木町事件という悲劇を起こした電車ですが、20メートルの車体で4扉ロングシート、大量の人間を詰め込めるラッシュアワー向きの有能な電車でした。正面が切妻という思い切った簡素なデザインで大量に在籍していたために、当時どの鉄道ファンからも嫌われていました。大阪駅でもコレにカメラを向けているファンはいませんでした。

写真2は1965/1/2国鉄東海道本線芦屋駅付近にて。

どれほど鉄道ファンから嫌われていたとしても、その後の国鉄や私鉄の通勤電車の設計には極めて大きな影響を与えています。国鉄で言えば101系→103系→201系は最も数多く作られた直系の通勤電車です。

あれほど沢山作られた重要な通勤輸送の担い手でしたが、その割りに保存車が1輌も残されていません。クモハ73001が保管されていましたが、後に廃棄されています。

クハ103-146

写真3はクハ103形クハ103-146、1970/3/24国鉄東海道本線大阪駅にて。

まだエアコンが搭載されていない時代の103系電車でも、クモハ73などと比べるとアコモデーションの差は覆いがたいものがありました。通勤する者の立場で言えば103系が来ればホッとしたものです。

クモニ83018

写真4はクモニ83形クモニ83018、1973/4/17国鉄東海道本線大阪駅にて。

旧番号はモハ63740→モハ72273→クモニ83018
クモハ73は大量にあったので、一部は改造されて荷物電車や郵便電車として第2の職場でも愛用されていました。このクモニ83は台枠や機器が再利用されていますが、鷹取工場で改造された車体はほとんど新造です。

クモヤ91001

写真5はクモヤ91形クモヤ91001、1970/3/27国鉄東海道本線大阪駅にて。

旧番号はモハ63643→モハ72238→クモヤ91001
一部は改造されて電車区や工場での入換用電気機関車として、回送する電車(特に中間車ばかりを回送する場合)の運転台(回送列車の先頭と末尾に連結)としても長く使われていました。鷹取工場で改造されました。

クモヤ91002

写真6はクモヤ91形クモヤ91002、1970/9/6国鉄東海道本線大阪駅にて。

旧番号はモハ63658→モハ72269→クモヤ91002
クモヤ91形は交流電化区間まで回送電車を送ることができました。運転台の真上についているアンテナは、誤って交直切替操作をせずに違う電化区間に進入したときに検知するセンサーです。鷹取工場で改造されました。


       前のページ 次のページ