ボ1形 ボ2
RP175 Web#=309 掲載2009/6/9写真1はボ1形ボ2、1973/6/2富山地鉄市内線南富山検車区にて。 この電車は富岩鉄道に所属していました。富岩鉄道は富山市と神通川河口の岩瀬浜を結ぶ鉄道として1924年に富山口〜岩瀬港を開業し、1926年に鉄道省の富山駅への乗り入れしました。1941年に陸上交通事業調整法により富岩鉄道は富山電気鉄道(富山地方鉄道の中核となった会社)に合併され、同社の富岩線となりました。

ところが1943年に富岩線だけが鉄道省に買収されて富山港線となりました。現在は国鉄の富山港線から、驚いたことに路面電車規格の富山ライトレールに発展して盛業中です。 このボ1形ボ2は富岩鉄道が開業に際して、1924年に大阪鐵工所で作られた木造ボギー車ボ1形1と2です。記号のボとはボギー車を意味しています。

電車の正面は所謂タマゴで、当時の大阪電気軌道や南海鉄道の電車と同様の大きな半円型半流線型の5枚窓でした。アーチ形の採光窓が二個一組の側面窓の上部(幕板部分)に付いていました、この優雅なデザインはアメリカのインターアーバン電車の影響があります。 屋根は残念ながら丸屋根で、集電装置は当初ポールでしたが、後に写真のようにパンタグラフへ交換されました。

電装品は珍しく英国のメトロポリタン・ヴィッカース社製で、台車は日本車輛製C形でした。ボ2はその後モーターをウェスティングハウス社製に交換、制御器も日立製作所製に交換されました。 ボ1と2は1943年の国有化後も、そのまま原番号のまま富山港線で使用されていましたが、1948年に廃車され2両とも富山地方鉄道に譲渡されました。

富山地方鉄道では、鉄道線の立山線で付随車代用として使用した後、高岡軌道線に移りました。新車投入によりボ1と2は除雪用になり、ボ2は笹津線に移動しました。ボ2は1980年に廃車となっています。ボ1は1959年に高岡軌道線が加越能鉄道に移管されたので同社の所属となり、1971年に廃車となりました。 デニ6000形の6001、6002と呼ばれていた時代もありましたが、後に元のボ1形1、2に戻されました。

写真を撮影した頃は、車体は鋼板貼付け(簡易半鋼、所謂ニセスチール)になり、幕板部分にあった優雅なアーチ形の採光窓は埋められ、正面も3枚窓となっていました。 また除雪用として夏でも巨大なスノー・プラウを前後両面に取り付けたままでした。
|