古い車輌の写真

別府鉄道 3 SL

別府鉄道 土山線 5号蒸気機関車

RP197 Web#=343 掲載2009/7/31 修正1 2011/8/4

写真1は5号蒸気機関車、1963年ごろ別府鉄道土山線土山駅。混合列車のはずなのに、この日はハフ7だけがつながっていました。無論乗客はゼロ。

乗車しようかどうか迷った末に、線路端を歩くことにしました。しかしこの後の写真はすべて失敗で惜しいことをしました。

写真2は5号蒸気機関車、1963年ごろ別府鉄道土山線土山駅。これは山陽本線の客車列車の窓からスナップしたものです。ふるさとの松山へ行く途中で、オハ35辺りの窓から身を乗り出しての撮影でした。

まだ古いマッチ箱を改装した2軸客車(驚いたことに無番号)が使われていました。開け放ったままの扉から公園にある木製のベンチのようなシートが見えます。

別府鉄道で一番よく目にした5号機関車は、1925年日立製作所製のC形タンク機関車で、千葉県営成田鉄道多古線用の2号機関車として竣工しました。1946年に同鉄道が廃止されたため、京都府にある北丹鉄道に譲渡されました。北丹鉄道では大きすぎて持て余され1950年に別府鉄道に譲渡されました。全長8.7m、重量27tと手頃で優れた蒸気機関車であったためディーゼル機関車導入まで活躍しました。予備機として残されていましたが1967年に廃車、解体されました。

2009年の年末に、私が初めて鉄道の写真を撮ったブローニー判のネガが出てきました。久しぶりに写真屋さんまで出掛けて6X6判のスキャンを頼みましたが、銀塩写真の世界の変貌は著しく私は浦島太郎。もうブローニー判はスキャンを引き受けてくれるところが激減、ブローニー判フィルムの供給も危ないそうです。

追加した2枚の写真の撮影時期は不明ですが、多分1963年ごろと思います。場所は山陽本線との接続駅土山にある別府鉄道側線で入換え作業中です。

当時の私には写真の知識も無くピント外れ、カメラぶれ、露出過剰など問題だらけです。レタッチソフトを駆使して、ようやく皆様のお目にかける程度まで救えました・・・でしょうか?

写真4は当時よく一緒に撮影行に出かけた友人が撮ってくれた、若いころ(中学生)のサイト・オーナー(左の隅)です。





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