古い車輌の写真

西日本鉄道 17 宮地岳線 3 モ1形

1

RP237 Web#=387 掲載2009/9/28

写真1〜3はモ1形1、1971/1/3西鉄宮地岳線宮地岳駅にて。

西鉄宮地岳線のモ1形は4系統の電車を一つの形式にまとめたものです。大牟田線にもモ1形が在籍していましたが、本系列とは全く関係がありません。

今では電車の形式や番号はとても大きな数字が幅を利かせています。たとえば小田急のデハ60000形とか東武鉄道の50000系など、また地方の小さな鉄道でも大きな番号がつけられています。たとえば営業区間が14.7Kmで電車は10輌だけ在籍している十和田観光電鉄の主力はモハ7700形+ク7900形の編成です。このモ1形という形式称号は長野電鉄のOS 0(オーエスゼロ)形に次ぐ小さな番号で、簡単明瞭というか潔い印象を与えてくれました。

このモ1形1号車は修理して電車を長く使う時代に誕生したために複雑な経歴をたどっています。

博多湾鉄道汽船が1925年の宮地岳までの開業に際して川崎造船所(現在の川崎重工業)で客車ナハ1〜3の3輌を製造しました。電化する計画があったので、近い将来電車として使える車体で作られていて、1929年に電車となりデハ1形デハ1〜3となりました。西鉄の一部となってから1945年に改番されデハ1はモ1、デハ2はモ14、デハ3はモ2となりました。

写真4はモ1形1、1976/3/27西鉄宮地岳線津屋崎駅にて。

1958年にモ1は鋼体化改造が行われましたが、元の木造車体の部品をたくさん流用(台枠、台車、機器から扉、窓ガラスまで)したために、古い形態を色濃く残していました。木造車によく見られた床下のキングポストも残されていました。長らく宮地岳線で活躍しましたが、1977年に廃車となっています。それでも台車はク366でもう一度使用されています。

2

写真5はモ1形2、1971/5/2西鉄宮地岳線香椎花園駅にて。

経歴は元博多湾鉄道汽船のナハ3からデハ3、そして西鉄のモ2となりました。モ1とは違って1961年に鋼体化されたモ2は日本車輌の標準型電車に似た近代的な張り上げ屋根のスタイルで鋼体化されました。しかし予算が潤沢でなかったためか、妻面下部に主台枠が顔を覗かせていますし、台車は古色蒼然とした国鉄形イコライザー式台車DT-10を履いています。

       前のページ 次のページ