古い車輌の写真

西日本鉄道 18 宮地岳線 4 モ1形

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RP238 Web#=388 掲載2009/9/29

写真1はモ1形4、1971/1/3西鉄宮地岳線貝塚車庫にて。

博多湾鉄道汽船が1929年の宮地岳線電化に備えて日本車輌でデハ4〜9の6輌を新造しました。長さは15.2mと小柄な半鋼製3扉正面貫通の電車でした。

1942年に西日本鉄道に合併、1945年に改番があってモ1形4となりました。ずっと宮地岳線で活躍し1980年に廃車となっています。

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写真2はモ1形5、1971/1/3西鉄宮地岳線貝塚車庫にて。

4〜9は3扉から、中央の扉を埋めて2扉に改造されています。車体中央の窓が大きいのはその名残です。また貫通扉が埋められていますが、4と5では、この工事は正面中央に貫通扉の高さまでのウインドウヘッダーが残されたままです。

経歴は4と同じですが、廃車は1981年でした。

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写真3はモ1形6、1971/5/2西鉄線香椎花園駅にて。

6は貫通扉が完全に埋められており、あたかも当初から非貫通の正面だったように見えます。

経歴は4と同じですが、廃車は1981年でした。

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写真4はモ1形7、1971/5/2西鉄宮地岳線宮地岳駅にて。

7の宮地岳方(左の写真7)の貫通扉が埋められていますが、貫通扉の高さにリベットの列が残されていました。しかし貝塚方は貫通扉の高さにウインドウヘッダーが残されたままでした。

写真5はモ1形7、1971/5/2西鉄宮地岳線香椎花園駅にて。

7の貝塚方妻面(左の写真8)には貫通扉の高さにウインドウヘッダーが残されたままでした。

経歴は4と同じですが、廃車は一足早く1978年でした。

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写真5はモ1形8、1976/3/27西鉄宮地岳線貝塚車庫にて。

8は6と同様に貫通扉が完全に埋められており、あたかも当初から非貫通の正面だったように見えます。

経歴は4と同じですが、廃車は1981年でした。

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