古い車輌の写真

学生時代の合宿 10 盛岡機関区 5 D51

D51 1

RJ126 Web#=461 掲載2010/2/25

写真1〜5はD51形D51 1、1966/8/3東北本線盛岡機関区にて。

盛岡機関区で写真を撮っていると、たまたまD51の1号機が戻ってきました。特に運用を調べてから訪問したのではないので、飛び切りの幸運でしょう。煙が晴れた瞬間、ターンテーブルに乗っているD51 1を仕留めました。

この1号機は1935年に川崎車輌で13輌(D51 1〜13)作られたD51の最初です。

最も初期グループなので所謂なめくじドームで、ボイラーの前端が旅客用蒸気機関車と同じように丸く仕上げられています。東北地方の蒸気機関車のお約束でシールドビームの副灯が付いています。またこのカマにはケーシングの中に3個の電球が組み込まれた見たことも無いヘッドライトを装備していました。

そのときの盛岡機関区は全くの無風状態で、煙がせっかくポーズをキめている蒸気機関車の周りにまつわりついて残念でした。レタッチソフトで救っていますがいかがでしょうか?

D51形蒸気機関車は国鉄だけでも1935年から1944年までの10年間に1116輌も作られました、平均すると3日に1輌落成していたことになります。昨今の電気機関車やディーゼル機関車の増備状況から見ると鉄道黄金時代の勢いが感じられます。

D51 1のテンダーですが、大きな重油タンクが目立ちます。

D51は標準型蒸気機関車として1116輌が川崎車輌、汽車製造、日立製作所、日本車輌、三菱重工業のほかに鉄道省の大宮、鷹取、浜松、小倉、長野、土崎、郡山、苗穂の各工場で作られました。私鉄などからの買収もあり樺太の恵須取鉄道から2輌、胆振縦貫鉄道から5輌、日本窒素が海南島で使うために作っていた1輌が国鉄に編入されています。

日本の影響が有った地域にもたくさん輸出されています。台湾には戦前に32輌、戦後に5輌、ソビエトの一部となった樺太には30輌輸出されています。中国の海南島には国鉄籍となっていたD51が5輌送られています。朝鮮戦争で荒廃した韓国には三菱重工業でD51を4フィート8 1/2インチゲージ(1435o)に変更した2輌が輸出されています。

梅小路蒸気機関車館

このD51 1は梅小路機関区に開設された蒸気機関車の博物館で動態保存のD51 200と共に保存されています。ヘッドライトは原型に戻されているようです。

    前のページ 次のページ