古い車輌の写真

学生時代の合宿 9 盛岡機関区 4 C60

C60 1

RJ125 Web#=460 掲載2010/2/24

写真1と2はC60形C60 1、1966/8/3東北本線盛岡機関区にて。

C59 27として1942年に日立製作所で作られ、1953年に国鉄浜松工場で改造を受けてC60 1となりました。この改造は軸重の重い幹線専用機C59を地方の亜幹線にも使えるように、パシフィック(2-C-1)の従輪を2軸にしてハドソン(2-C-2)にしたものです。これで最大軸重は16tから15tになりました。

写真のC60 1は東北本線が1968年に電化完成したことに伴い廃車となり、仙台市桜ヶ丘公園西公園で保存されています。

特急列車の牽引もした蒸気機関車ですが、大型機C62の陰で地味だったためか保存機はこのC60 1だけです。

C60 18

写真3はC60形C60 18、1966/8/3東北本線盛岡機関区にて。

C59 78として1943年に川崎車輌で作られ、1960年に国鉄郡山工場で改造を受けてC60 18となりました。

煙突の周りには東北地方独特の小さなデフレクターが取り付けられています。

C60 20

写真4はC60形C60 20、1966/8/3東北本線盛岡機関区にて。

C59 16として1942年に日立製作所で作られ、1960年に国鉄郡山工場で改造を受けてC60 20となりました。

ヘッドライトの横に東北地方でよく見られるシールドビームの補助燈が取り付けられています。

C60 21

写真5はC60形C60 21、1966/8/3東北本線盛岡機関区にて。

C59 27として1942年に日立製作所で作られ、1953年に国鉄浜松工場で改造を受けてC60 1となりました。

C60 106

写真6はC60形C60 106、1966/8/3東北本線盛岡機関区にて。

C59 113として1946年に川崎車輌で作られ、1961年に国鉄浜松工場で改造を受けてC60 106となりました。

戦後型のC59 101以降を改造したC60の100番台8輌の一員です。無風状態で濃厚な煙が滞留していて、このような写真しか撮れませんでした。風が吹き始めた頃には、1台だけ待機していた100番台のC60は既に出庫していました。

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