古い車輌の写真

学生時代の合宿 12 盛岡機関区 7 D62とエヤ

D62 10

RJ128 Web#=463 掲載2010/2/27

写真1はD62形D62 10、1966/8/3東北本線盛岡機関区にて。

1943年にD52形の第一陣として作られた19輌に一員です。1950年に浜松工場で1-D-1から1-D-2バークシャーに改造されD62 10となりました。

撮影した頃のD62は一関機関区に集中配備されていたために、会えないものと思ってたのを盛岡機関区の端っこで待機しているのを見つけました。

詳しくはここのサイトをご覧ください。

スヤ39 2

写真3はスヤ39形スヤ39 2、1966/8/3東北本線盛岡機関区にて。

スヤ39 2は鉄道工事現場で職員の長期滞在用宿泊設備として使われました。前身は寝台車ですが、改造により二段寝台と厨房設備が設置されていました。

経歴は複雑で1928年日本車輌でマロネ48501として竣工、1928年に改番でマロネ37301、1941年に改番でマロネ37 2、1945年戦争のために大宮工場で優等客車が普通客車マハ47 2に改造、1950年盛岡工場で三等寝台車に改造されマハネ37 22、1953年改番によりマハネ29 2、1957年長野工場で宿泊車スヤ39 2に改造、1969年に廃車になりました。

オエ70 15

写真4はオエ70形オエ70 15、1966/8/3東北本線盛岡機関区にて。

1949年関東工業で戦災を受けた17m級電車を復旧してオハ70 104が作られました。戦災を受ける前は木造のサハ25000形かサハ26000形を鋼体化したサハ75000形の一員と推定されていますが、詳細は不明です。1950年に鹿児島工場でスニ73 31に改造、1962年に盛岡工場でオエ70 15に改造されました。廃車は1987年です。

窓と幕板のプロポーション、妻面まで回りこんだウインドウ・シルやヘッダーが電車から復旧されたことを物語っています。

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