古い車輌の写真

学生時代の合宿 19 糸魚川駅 2

C56 125

RJ135 Web#=469 掲載2010/3/6

写真1〜4はC56形C56 125、1966/8/7信越線糸魚川駅の跨線橋から。

C56 125は1938年に三菱重工業で作られました。ここのC56は大糸線の貨物列車に運用されていました。糸井川駅のヤードでは盛んに入換作業をやっていました。

1930年代には距離のあるローカル線で使われていた5500形や6250形のような古い輸入蒸気機関車が、部品の入手難や老朽化で取り替えなければならなくなりました。新鋭の小型蒸気機関車で私鉄向けを含めると300輌以上作られたC12形から、水タンクとコールバンカーを除いてテンダーを付け加えた設計で、1935〜1939年に160輌が製造されました。

C56は関西地区では見られないロコで、私のような都会人にとっては高原の白樺や針葉樹林を抜けて行く小海線のミキストトレインや、半島の突端にある漁港に向かって行く七尾線のレ(冷蔵車)を連結した貨物列車を思い起こさせます。つまりC56は高校生の私にとっては遠くのロコで見る機会がほとんど有りませんでした。

操車掛の方はカメラがお嫌いのようでした、申し訳ありません。

特徴のあるC56形のテンダーです。アメリカの入換用蒸気機関車に見られるスローピングバックテンダーの影響を受けています。でも機関車に従輪が無かったC56にとってバック運転はとても苦手のようでした。

デフレクターのステーが丸いのはトンネル内部にぶら下がっているツララを叩き落して乗務員を保護するためのものです。テンダーにも同じ用途の枠が立てられています。

C56 151

写真5と6はC56形C56 151、1966/8/7信越線糸魚川駅にて。

C56 151は1938年に三菱重工業で作られました。このC56は山岳線区でよく見られる集煙装置が煙突に装備されています。

いかめしい集煙装置を後方から。ツララ落としの枠がデフレクターの上に見えます、キャブの前方窓には回転式の雪払器が取り付けられています。冬の豪雪は大変なものなのでしょう。

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