古い車輌の写真

学生時代の合宿 18 糸魚川駅 1

D51 822と糸魚川機関区

RJ134 Web#=468 掲載2010/3/5

写真1はD51形D51 822、1966/8/7信越線糸魚川駅にて。

この機関車は1942年に鉄道省の浜松工機部で作られました。廃車後に石川県白山市の松任駅前緑地広場で保存されています。

糸魚川駅のプラットホームから煉瓦造りの立派な糸魚川機関区の建屋が見えます。この機関庫建屋は2010年現在まだ残されています。

D51 588

写真2はD51形D51 588、1966/8/7信越線糸魚川駅にて。

この機関車は1940年に汽車製造で作られました。ここで見かけたD51は煙突にいかめしい集煙装置、ドームの後ろに小型重油タンクを装備しており、勾配のある幹線の貨物列車で運用されていました。

ED70 14

写真3はED70形ED70 14、1966/8/7信越線糸魚川駅構外の側線にて。

ED70形は最初に量産機として作られた交流電気機関車で、このED70 14は1957年に三菱電機、三菱重工業で作られました。貨物列車の列車単位が大きな北陸本線では、EF70形の台頭により小型のED70形は既に二線級の扱いでした。

EF70 35

写真4はEF70形EF70 35、1966/8/7信越線糸魚川駅にて。

EF70 35は1964年に日立製作所で、北陸本線金沢富山間電化開業用として作られ田村と糸魚川の間で運用されていました。当時の北陸本線は貨物列車がたくさん運行されており列車単位も1100tと大きなもので、このような大型の交流電気機関車が81輌も量産されました。

東洋活性白土の貨物ホーム

写真5は東洋活性白土株式会社の国鉄側積替ホーム、倉庫と側線です。下見板貼りの魅力のある建物で、ぜひレイアウト・セクションで再現したいものです。

糸魚川とナローゲージといえば必ず東洋活性白土株式会社の専用線(2フィート610oゲージ)が話題に上ります。ここを訪問した日はたまたま日曜日で会社は休業、機関庫には鍵がかかっていて写真を撮ることはできませんでした。門衛の方が親切な方で総務に連絡を取ってくださって、機関庫の外から協三工業製6t蒸機と、X字型の筋交いの後方で保管されているドコービュを覗く事ができました。

東洋活性白土のタンク車

写真6は東洋活性白土株式会社のタンク車、1966/8/7国鉄側積替ホームの側線にて。

重油タンク車は5t積(全長が僅かに3.53m)が1輌しか在籍していなかったためか、番号や記号は全く見当たりませんでした。社内では重油運搬車と呼ばれていたようです。写真5の右側に移っているのは重油を運んできた国鉄の30t積みタンク車(多分タキ2100形)で、このタンク車5往復分です。

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