古い車輌の写真

頚城鉄道 1 列車

頚城鉄道の列車

RP288 Web#=472 掲載2010/3/8

写真1は頚城鉄道の列車、1966/8/7。

強行軍だった夜行列車の翌朝、眠い目をこすりながら新黒井から乗車したホジ3+ホハ+ワフの3輌編成列車に乗って車庫のある百間町を目指しています。夏なのに濃い朝霧、広い稲田に列車が航跡(ウエーキ)を巻き起こしながら疾走していきます。

写真2は浦川原へ向かって発車して行く列車、1966/8/7頚城鉄道百間町駅から。

頚城鉄道は1914年に2フィート6インチゲージ(762o)の軽便鉄道として開業、1916年に浦川原まで全通しました。1930年ごろになるとバスやトラック、新規開業の国鉄線との競合が酷くなり、営業面では苦戦が続いておりました。

1944年に戦争中の交通機関統合でバスやトラック事業が大きくなって、頚城鉄道自動車となりました。

写真3と4は北四ツ谷駅から新黒井駅に向かって来る混合列車、1966/8/7頚城鉄道新黒井駅の近くから。

頚城は豪雪地帯で冬になると自動車が通る国道の除雪は困難でした。軽便鉄道の除雪作業も大変でしたが、公共交通機関としての信頼性は頚城鉄道線の方がはるかに上でした。

写真3や4で見られるように廃止間近になっても貨物の量は結構多く、多くの貨車を連結した混合列車が見られました。

1968年には両端の新黒井〜百間町間5.4km、飯室〜浦川原間3.7kmが廃止となり、国鉄との連絡運輸ができなくなりました。

軽便鉄道である頚城鉄道線が1971年の全面廃止まで持ちこたえたのは、厳冬期に平行する国道の除雪がいかに大変だったかを物語っております。

頚城自動車は現在も盛業中で県内のバス路線の他に、高速バス上越・柏崎〜東京池袋線も運行しています。

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軽便鉄道