古い車輌の写真

頚城鉄道 2 建築物など  

新黒井駅舎

RP289 Web#=473 掲載2010/3/10

写真1は頚城鉄道新黒井駅舎、1966/8/7。

新黒井駅舎は明治〜大正時代に流行った下見板貼りの西洋館で、元々はスタンダード石油株式会社直江津工場で外国人宿舎として使われていたものです。豪雪地帯に必須の1階差掛屋根は駅舎として使用する際に追加されたものでしょう。郵便物の授受をするトラックが停まり、宅急便の無かった時代には鉄道荷物の積み下ろしも行われていました。

新黒井駅のヤード

写真2は頚城鉄道新黒井駅のヤード、1966/8/7。

新黒井駅の先には広い貨物用のヤードと大きな農業倉庫、国鉄の積替ホームがありました。秋の取り入れシーズンには大量の俵に詰めた米が小さな軽便鉄道の有蓋貨車で到着し、倉庫に運び込んだり国鉄のワムに積み込んだりで大忙しだったことでしょう。

頚城鉄道も国鉄信越本線も電化されていなかったので、架線の見えない夏の青い大空が広がっていました。

百間町駅

写真3〜5は頚城鉄道百間町駅、1966/8/7。

百間町駅で女性の駅員さんがポイントを操作し入換作業中です。左の大柄な建物は2棟ある百間町車庫の建屋の一つです。豪雪地帯なので厳冬期に屋外で車輌を保管するわけにはいかなかったのでしょう。浦川原駅では9mの積雪記録があったそうです。

百間町駅での列車交換

百間町駅に進入してくるDC92牽引の列車。部分廃止直前1966/8/7の光景で、まだ多くの乗客を運ばねばならないので、ディーゼル機関車牽引の列車とディーゼルカーの列車が運行されていました。

百間町駅でDC92の牽く列車とディーゼルカーホジ3の牽く列車が交換しています。プラットホームで列車を見送っているのはバスガイドと同じ制服の女性駅員です。

百間町車庫

写真6は頚城鉄道百間町車庫、1966/8/7。

車庫の中では3号蒸気機関車の下回りを使って森製作所で作られ、協三工業で改造を受けたDB81が待機していました。DB81の右側に見えるのは蒸気機関車用の給水タンクです、雪国の厳冬期でも給水作業が行えるように庫内に設置されていました。

    前のページ 次のページ 軽便鉄道