古い車輌の写真

南海電鉄 阪堺線 4 201、 205

203

RP443 Web#=677 掲載2012/1/6

写真1と2はモ201形203、1966/6/22南海電鉄阪堺線我孫子道車庫。

1935年南海電鉄は初代阪堺電気軌道が開業した時に製造された木造電車である電1形のモーターを流用して、同社天下茶屋工場で4輌を鋼体化改造モ2001形2001〜2004として就役、モ2001形は当初より天下茶屋工場で作った低床台社を使用していました。
1937年モ2001形はモ201形201〜204に改番されています。

1949年に集電装置がトロリーポールからYゲルに改造。
1967年に4両とも廃車となりました。

長さが11mの中型車で一段下降窓でした。廃車が早かったためか一枚扉化、パンタグラフ化等の諸改造が行われませんでした。この写真を撮影したころは晩年で、救援車として車庫で待機していました。

205

写真3と4はモ205形205、1971/9/1南海電鉄阪堺線我孫子道車庫。

1937〜1943年南海電鉄は初代阪堺電気軌道の開業時に製造された木造車の電1形、電2形、電動貨車11形のモーターや台車を流用して同社天下茶屋工場でモ205形205〜246の42輌を鋼体化しました。この内205〜210は当初モ2001形2005〜2010として就役、翌年モ205形205〜210に改番。
1947年に広瀬車両でモ247〜250の4輌を追加しています。

1937年に写真3と4のモ205は南海電鉄天下茶屋工場鋼体化改造されました。当初はモ2001形2005でした。
1938年にモ205形205に改番。
1949年に集電装置がトロリーポールからYゲルに改造。
この写真を撮影したころは第一線から退いて、大和川検車区で救援車として待機していました。
1972年に集電装置がYゲルからパンタグラフに交換。
1976年に廃車、南海大阪軌道線を代表する形式でしたが保存されませんでした。

206

写真5はモ205形206、1971/9/1南海電鉄阪堺線我孫子道車庫。

206は205と同じ様な経歴を辿っていましたが廃車は1975年のことです。206はこの写真を撮影した時には既にパンタグラフに取り換えられていました。

モ205〜モ210はモ201形と同じ1段下降窓で、出入り口が2枚引扉でした。

モ200形やモ205形は11mの小柄な車体、薄い屋根による明快な印象、珍しいYゲル集電、屋根上に高々と掲げられたヘッドライトと、なかなか魅力のある路面電車でした。