古い車輌の写真

京福電鉄 叡山線 1 デナ1、デナ20

デナ1形

RP521 Web#=766 掲載2012/8/12

1888年に創立したは京都電燈会社は電力の安定供給先として1914年からは京都府と福井県において鉄道業を行うようになりました。
1925年に叡山線を開業。
1927年に子会社として鞍馬電気鉄道を設立。
1942年鉄道業等は電力会社から分離独立、京福電気鉄道京都支社叡山本線と鞍馬線(通称叡電)となりました。
1986年叡山電鉄は京福電鉄から叡山本線と鞍馬線を譲受け営業開始。

写真1はデナ1形、1961/7下旬 叡山線修学院駅付近。写真2と3はデナ1形廃車体、1973/6/3叡山線修学院車庫。

1925年叡山線の開業に際して日本車両でデナ1形1〜6の6両が製造されました。全長12.3m、片開2ドアの小型木造車で、珍しくドイツのマン製台車とイギリス製電装品を搭載していました。
1964年にデナ500形の導入に伴い廃車。
1970年の修学院車庫改装まで、写真2と3のように車体が倉庫兼休憩所となっていました。このときの廃車体は光沢のある綺麗な塗装を纏っていて驚きました。

写真1は私にとっても想い出深い写真で、中学生の時に初めて鉄道写真を撮るために京都に出かけた折のものです。京都市のN電と京福電鉄修学院車庫(検車区の訪問は初めて)を訪問しました。

デナ1形のきちんとして形式写真を撮っていなかったのは残念です。独特の重々しい走行音と押し殺したようなタイホンの音が記憶に残っております。

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写真4はデナ20形21、1961/7下旬 叡山線修学院車庫。

1929年に京都電燈が叡山線用に日本車輌でデナ21形21〜24の4輌を製造しました。平坦な叡山線用のため、就役当初は発電ブレーキが省略されモーターも2台だけでした。
1930年にシングルポール化。後にトロリーホイールからスライダーシューに改造されました。
1965年に21〜24も発電ブレーキが取り付けられ121〜126と共通運用ができるようになりました。

写真5はデナ20形21、1968/5/26叡山線修学院車庫。

1978年、集電装置のパンタグラフ化、編成を組む側の面に貫通扉を取付て2両編成化と車体更新工事が行われました。
1986年に叡山電鉄として分離。
1987年23と24が車体載替工事が実施されデオ710形711と712となりました。
1995年21と22が廃車、現在は21の前頭部と車輪が鞍馬駅前に保存。

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写真5はデナ20形22、1968/5/26叡山線修学院車庫。

写真5と6は写真4の撮影から7年後ですが、妻面右側の窓が改造されています。窓枠の上端部が丸く仕上げられており、優美な印象がありました。

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