古い車輌の写真

国鉄職用車 2 客車

コヤ90 1

RJ223 Web#=900 掲載2014/3/7

写真1はコヤ90形コヤ90 1、1961年頃 国鉄横須賀線。

1961年国鉄大船工場で新幹線車両輸送に備えて建築限界測定用試験車としてオロ31 104から改造されました。在来線経由で車両メーカーから車両基地まで新幹線車両を輸送する際に、途中で支障が無いかを事前に確認するためでした。車体は全て撤去、台枠は中央部分で延長されて台車センター間距離は新幹線車両に合わせてありました。測定用の矢羽根は車両中央部および両端に設置され、その動きは添乗員が直接目視して確認していまた。両端の矢羽根は連結器より外側に飛び出しているために、運用時には前後に長物車を控車として連結しなければなりませんでした。写真で白っぽく見えるのは黄色の塗装されていたためです。
1990年に廃車。用済みになってからも長期にわたって保管、JR東日本に継承されていました。

高速軌道検測車

1926年鉄道省工務局保線課は軌道検測車ヤ9000形ヤ9000を制作しました。それは日本で最初に製作された軌道検測車で2軸客車の中間に小さな補助車輪を設置した木造3軸車で、さらに測定用の小さな車輪を持っていました。機関車に牽かれて走行中に短波長の高低狂いと軌間、水準の測定ができました。
しかし測定時の走行速度が約10km/hと遅いので、列車の間合いで測定するのが困難なためにオヤ19820形に役目を譲りました。
1941年に1等寝台車から改造された木造車オヤ19820形オヤ19820は、1959年にマヤ34形高速軌道検測用試験車が登場するまで使われていました。
1960年軌道検測用職用貨車としてヤ210形ヤ210が作られました。全長8.75mの3軸車で、測定用小径車輪4組を装備していました。主に四国で運用されていましたがマヤ34形の増備により1976年に廃車。

マヤ34 2005

写真2〜4はマヤ34形マヤ34 2005、1975/8/24国鉄東海道本線京都駅。

1950年代までは軌道の狂いの検測は保線作業員に頼っていましたが、列車の本数増加と高速化が進んだ為に列車として通常の速度で走行しながら軌道の検測を行う車両の研究が鉄道技術研究所により進められていました。
1959年にその成果として高速軌道検測車マヤ34形マヤ34 1が完成しました。
1965〜1967年には改良されたマヤ34 2002〜2007が就役しました。写真のマヤ34 2005は1967年に製造されました。
1978年にはマヤ34形マヤ34 2008と2009が竣工。
1981年には最後のマヤ34 2010が竣工。
2007年に後継車キヤ141系の就役で写真のマヤ34 2005は廃車。

マヤ34形は車体がナハ10系軽量客車をベースに作られましたが、計測時に車体の捻じれを避けるために短め(18.04m)の強固な車体を持っていました。台車は5m間隔で3台装備しており、台車の位相の変化を測定して軌条の各種の狂い(軌間・水準・通り・高低・平面性・動揺の6項目)と車両の速度・加速度・横圧を同時に測定できます。測定結果は記録紙に記録されますが、本形式にちなんでマヤチャートと呼ばれました。
私鉄にも貸し出されていましたが、東急、京成、近鉄は後に自前の高速軌道検測車を就役させています。

新幹線にも同様の方式で高速軌道検測車が次々と開発されました。鴨宮のモデル線に就役した4000形4001と4002は後に921形921-1と921-2と改番されました。これは高速で自走出来ないのでディーゼル機関車に牽引されて運用されました。後にドクターイエローと呼ばれている高速軌道試験車(922、923、925、E926)が開発されました。
在来線でも高速で自走出来る電車やディーゼルカーの高速軌道試験車が次々と開発されました。クモヤ443系、キヤ191系、キヤ95系(ドクター東海)、E491系East i-E、キヤE193系(East i-D)、キヤ141系(ドクターWEST)等です。