古い車輌の写真

国鉄職用車 1 客車

スヤ39 2

RJ1222 Web#=899 掲載2014/2/13 
修正1 2014/3/7


写真1はスヤ39形スヤ39 2、1966/8/4 国鉄東北本線盛岡機関区。

1928年製造されたオハ31系に属する長さ20m3軸ボギー車の半鋼製2等寝台車マロネ48500形がスヤ39 2の前身です。
1928年車輛称号規定改正でマロネ37300形に改番。
1941年車輛称号規定改正でマロネ37形に改番。
1944年43輌の内35輌が戦時改造で座席車に。
終戦後に進駐軍兵員輸送用寝台車マハネ37形に改造。
1953年の車両称号規程の改正でマハネ29形0番代に改番。
1956〜1957年工事車へ改造されスヤ39形。外観は種車の原形を留めていましたが、室内は大幅に改造され畳敷きの二段式寝台が通路の両側に4組ずつ設置、食堂、調理室、物置なども置かれ工事担当職員の長期滞在に備えていました。
1971年廃車。

スヤ39 21

写真2と3はスヤ39形スヤ39 21、1970/3/11 国鉄東海道本線大久保駅。

1931年と1933年にお召列車随行員用車輛として400形供奉車400と401の2輌が鷹取工場で製造されました。3等級時代の2等車相当で定員は42人、長さ20m、400の自重は39.3tでした。

1961年400は事業用の工事車に転用され、スヤ39形スヤ39 21に改造されました。沼津区(静ヌマ)に配属、三島操機工事事務所で架橋工事現場などでの宿泊に使用されました。
1975年後継車の登場で廃車。

ナヤ16843

写真4はナヤ16800形ナヤ16843、1961年頃 国鉄吹田機関区。

鉄道省?の神戸工場で作られたホハ6810形が前身。
1928年にホハ12000形ホハ12109に改番。
1956年に吹田機関区や吹田工場の職員通勤用としてナヤ16843に改造。
1964年廃車。この木造車の後釜が下の写真のオヤ30 4+代用客車のワキです。

オヤ30 4

写真5はオヤ30形オヤ30 4、1966/10/29 国鉄吹田機関区。

1927〜1929年に144輌製造されたオロ41700形の中のオロ41723が前身です。
1928年の形式称号の改正によりオロ30600形オロ30653。
1941年の形式称号の改正によりオロ31形 52、この時代に工場の失火により被災した車輛を復旧した折に屋根が丸屋根になっていました。
1961年に格下げとなりオハ27形オハ27 52と改番。
その後、吹田機関区や吹田工場の通勤用となりオヤ30形オヤ30 4となりました。
1983年廃車。

マヤ20 12

1932〜1942年に727輌作られたスハ32800形の内スハ32860として竣工。
1941年車輛称号規定改定に伴いスハ32形スハ32197と改番。
1963年に寝台特急「みずほ」が20系化された際に、付属編成が門司〜大分間で分割運用となって電源車が必要となりマヤ20形3輌が改造により就役しました。改造は客室にディーゼルカー用標準形機関DMH17と発電機を、床下に燃料タンクを、屋根には大きなラジェーターを設置しました。
1968年の増発によりさらに3輌がスハ32形から改造されました。写真6のマヤ20形マヤ20 12はスハ32形スハ32 197からの改造です。
1975年廃車。

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