古い車輌の写真

新幹線 鴨宮モデル線

型式1000

RJ005 Web#=11 掲載2007/12/9
 修正1 2013/12/8

私が高校へ上がるときに東海道新幹線(まだ夢の超特急と呼ばれていました)の鴨宮実験線が作られ、いろいろな実機テストが行われていました。やっと買ってもらったハーフサイズカメラを持ってケチケチと撮影。鴨宮の基地は案外狭くて、長い(25m)新幹線車輌の撮影は困難でした。写真は2両編成の方の試作車(型式1000)で、後に量産された0系とは違った運転台回りのデザイン(窓がとんがっていない)です。

鴨宮の基地の外を東海道線の151系特急が高速で通過していきました。私はプロフィールに書いてあるとおり、「ドサ回り専門」なので、このテの最新鋭車輌にはトンと興味がありませんでした。

私の長い鉄マニア生活でも新幹線の写真はこれだけです。全く同じデザインで大量に作られた新幹線車輌は、仲間のファンの目から見ると変化のないつまらないもの(=エレベーターの籠)で、当時の鉄はだれもが「あんなん面白くない」と言っていました。

小型ディーゼル機関車

ついついへそ曲がりのクセが出て、側線に停まっている小型ディーゼル機関車にカメラが向いてしまいました。これでもいっぱしの機関車らしいカッコウをしていますが、国鉄では保線機械扱いで車籍はありませんでした。

3000型 3002

バラスト撒布用ホッパ貨車3000形3002。

上の小型ディーゼル機関車につながっていた砂利撒布用のホッパー車です。

1962〜1964年に国鉄浜松工場で3000形3001〜3060の60輌が作られました。
1964年に931形931-1〜931-60へ改番。
1977年まで増備が続き931-126までの126輌が作られました。
一部は2013年現在も車籍の無い保線機械として使われています。

コヤ901

これもへそ曲がりが喜んだ車輌です。新幹線車輌を車輌メーカーから新幹線の車輌基地まで在来線経由で運ぶ時に、建築限界に抵触しないかどうかをチェックする限界測定車(所謂オイラン車)です。

1927〜1929年の長さ17mの半鋼製2等ボギー車オロ41700形として144輌が竣工。
1928年オロ30600型へ改番。
1941年オロ31形オロ31104へ改番。
1961年国鉄大船工場で新幹線車両輸送限界測定用の試験車コヤ90形コヤ901に改造。JR東日本が継承。
1990年廃車。
当初は仮の車なので制式の形式をもらえなかったようですが、コヤ90と言う立派な正式車籍を貰い、結構長い間使われていました。

コヤ90形は新幹線車両を在来線を使用してメーカーから車両基地まで輸送する際に、途中の地上施設が在来線より最大長も最大幅も大きな新幹線車輛を通過させるkとができるか確認するために改造されました。台枠は中央部分で延長され、台車心皿間の長さは新幹線車両に合わせて中央部分で延長して改造されました。測定用の矢羽根は車両中央部および両端に設置されていましたが、両端の矢羽根は連結器より外側に設置されたため、前後にフラットカーを控車として連結しなければなりませんでした。ブレーキは引き通しのみで、ブレーキ装置は省略。車体塗色は黄色でした。

       前のページ 次のページ