古い車輌の写真

日車を覗いた

朝鮮向けのミカド型蒸気機関車

RF003 Web#=10 掲載2007/12/8
修正1 2009/9/12

1965年頃ですが、父親が勤務していた名古屋支店に行ったついでに中京倉庫に行ってきました。お目当ては大陸(朝鮮)向けのミカド型蒸気機関車です。高校生の身分ではハーフサイズカメラ(オリンパス・ペンS)を買ってもらうのがやっとで、あまり上手く撮影できていません。後日ペンタックスを持って再度訪問することになります。

101号蒸気機関車

ついでに隣の日本車輌の方を塀の上から覗いてみたら、古い小型の蒸気機関車が2台放置されていました。この写真は小型のタンク機関車の方で、手前のバッテリーロコの陰で軸配置がよく分かりません。多分日車タイプのCタンクだと思うのですが。

機関車をトリミングして拡大すると101という番号が読み取れます。日車の工場構内入換用蒸気機関車だったのでしょう。

もう少しカメラを振って、邪魔なワイヤーをよけました。

103号蒸気機関車

こちらは少し大型のテンダー蒸気機関車で、かなりくたびれ果てた様子でした。これも拡大してみると103という番号が読み取れます。なにぶんハーフサイズのネガからの拡大なので画像が荒れています。この蒸気機関車は元々石原産業が中国南部の海南島で燐鉱鉱石運搬用として日車本店に発注、樺太庁鉄道の60形の基本設計を流用して1944年1月に6両製作されました。当初は南方向けということで薪焚き仕様で炭水車に薪を積載するための枠(このロコのテンダーに注目)が装備されていました。戦争の悪化で海南島に輸送することが出来なくなったので、1両は日本車輌製造本店の入換車とされたのが、この103号蒸気機関車です。機関車重量(運転整備) 39トン炭水車重量(運転整備) 27.6トンとテンダー式蒸気機関車の割には小型で、地方鉄道向けの小型タンク機関車と大差はありませんでした。

残る5両については石原産業に引き取られてSL391〜395と付番され、同社の四日市工場専用線で3両が使われていました。戦後に南海電鉄(当時は戦時統合で近鉄の難波営業局)の高野線でC10001〜10003として客車2両(内1両は照明用のパンタグラフ付)の急行列車を牽引して活躍していました。このうちC10001とC10002は汽車製造会社で1-C-2タンク蒸気機関車に改造され片上鉄道のC13-50と51になり、1966年まで硫化鉄鉱の運搬に活躍しました。

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