古い車輌の写真

箱根登山鉄道

108

RP049 Web#=105 掲載2008/4/12 修正1 2009/7/22

前回取り上げた関西の登山電車の代表神戸電鉄に次いで、今度は東の雄である箱根登山鉄道を取り上げましょう。ここを始めて訪問したのは1963年の4月ごろ、使用機材はやっと買って貰ったオリンパスペンSというハーフサイズの小さなカメラです。カメラに慣れていないので、甘いピントやカメラブレが気になります。神戸電鉄がベッドタウンと大都市を結ぶ通勤路線に脱皮して行ったのとは異なり、ここは現在も大都市から少し離れた奥座敷の観光用登山鉄道の面影を色濃く残しています。右の写真はモハ2型108で、箱根登山鉄道の前身である小田原電気鉄道が、1927年に日本車輌製造で製造した木造ボギー車チキ2形チキ8を鋼体化したものです。新造された時は登山鉄道の本場スイスから輸入されたシュリーレン社製のプレート・フレーム台車と、ブラウンボベリ社製の電気機器が使われていました。

モハ1形と同様にモハ2形のモハ8〜10も1955年から1957年にかけて、モハ111と同じ形の新造車体に載せ換えられモハ108〜110となりました。台車が老朽化したことから1985年から1990年にかけて僚車5両とも下回りを交換し、カルダン駆動化されました。その後2001年ごろに車体の大掛かりな更新修繕が行われ、扉のステンレス化なども有りました。その中で108は両運転台の原型を保っていて、塗装を登場当時の緑一色にしたり、青とクリーム色の昔の塗装に戻したりして乗客を楽しませているのは喜ばしいことです。

この頃はまだシールドビームのヘッドライトが開発される前で大型の勇ましいヘッドライトを搭載しています。屋根の上にある長くて黒い箱は床下に設置できなかった抵抗器です。正面床下に見える箱は急カーブに差し掛かったときに車輪のすぐ前に散水するための水を入れておくタンクです。

プレートフレーム台車

珍しい構造を持つスイスのシュリーレン社製プレートフレーム台車です。このタイプの台車はヨーロッパでは広く使われていますが、日本では観光地の登山電車に限定されているようです。神戸電鉄のプレートフレーム台車と比べると幾分かホイールベースが短い小振りな物です。残念ながら1985年ごろの台車取替で失われてしまいました。

新型台車

プレートフレーム台車に代わって採用された新型台車です。ボルスターレス台車はまだ無理だったようです。

ユ1

強羅の駅の側線に停まっていたユ1です。1921年日本車両で製造されました。当初はトロリーポール集電でしたが後にビューゲルに交換されています。路面電車クラスの直接制御の四輪単車ですが、急勾配を走るために普通のエアブレーキのほかに発電ブレーキと緊急用のレール圧着ブレーキを搭載していました。道路が整備されていない頃は箱根の観光旅館で使用する生鮮食料品の輸送に活躍しましたが、後の工事用として残され1975年に新造のモニ1形と交代して廃車となりました。廃車後も強羅駅で保存展示されていましたが、木造車体が屋外展示に耐えられず破損していったために解体されてしまいました。

小田急 ED1021

小田原駅には小田急と箱根登山鉄道が共同で使用しているプラットホームがありました。そこに立っていると小田急の貨物列車を見る事ができました。写真5は貨物列車を牽引して小田原駅に到着したED1021です。この頃はまだ私鉄でも盛んに貨物列車が運行されていました。通勤客しか住んでいないベッドタウンとなった昨今の小田急沿線からは想像もつきません。農産物でも運んでいたのでしょうか?

小田急 トフ106

小田急の貨物列車の最後を守っていたトフ100形トフ106です。小田原駅で撮影したのですが、トフ106の下は短いプレート・ガーダー?!の橋梁?です。地下通路がこの下を通っているのでしょう。

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