古い車輌の写真

防石鉄道 1 放置された列車

RP063 Web#=119 掲載2008/5/4

瀬戸内海沿岸にはたくさんの小規模な私鉄がありましたが、線路の保守をしなくても済むバスやトラックに次々と転換していきました。そのような鉄道の内、西のはずれにあった防石鉄道を紹介しましょう。社名は周防(スオウ)の国と石見(イワミ)の国を結ぶという壮大な計画に因んだものです。

津和野を通過して益田へ抜ける、山陽と山陰を結ぶ鉄道として計画されました。戦争による物価騰貴で資金が足りなくなり工事もはかどらないうちに、国鉄山口線が全通してしまいました。路線延長計画もありましたが、線路は途中の堀まで(18.8Km)を開業しただけで息切れしてしまいました。

便利な自家用自動車との戦いに敗れて鉄道は廃線となり、会社はバス会社に転進(防石鉄道バス)しました。その後に地場の大手バス会社である防長交通に吸収合併され消滅しました。

1970/8/16に周防宮市(スオウミヤイチ)車庫の跡地にバスで行ってきました。列車に仕立てられたような形で放置(保存とは言い難い)されていました。

防石鉄道の末期は古い小型のディーゼルカーが単行で運用に就いていたようです。今だったら大井川鉄道と同じように、きれいに整備されて観光列車として活躍していたことでしょう。

訪問したのが夏で、蔓草や潅木が茂っていて、写真を撮り難いところでした。Bタンクに2軸でオープンデッキの客車数輌というローカル列車はHOゲージでもレイアウトに再現できるサイズでしょう。

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