古い車輌の写真

防石鉄道 2 2号蒸気機関車

2号蒸気機関車

RP064 Web#=120 掲載2008/5/5

1970/8/16に防石鉄道の周防宮市車庫跡で撮影した2号蒸気機関車です。この鉄道の廃止は1964/7/1なので、この列車は6年以上もここに放置されていて荒廃していました。

この蒸気機関車の原設計は、1889年に開業した九州鉄道にドイツから招かれていた鉄道技師ヘルマン・ルムシュッテルにより作られた仕様書に基づいてドイツのクラウス社が自社の既成設計の中から適宜選んでまとめたものです。Bタンク(国鉄の10型)とCタンク(国鉄の1400型と1440型)が共通部品を持つ合理的な設計で、高性能で信頼性も高かったために九州鉄道以外でも採用が相次ぎました。

九州鉄道以外にこの型の蒸気機関車を輸入して採用したのは川越鉄道、両毛鉄道、甲武鉄道の3社です。しかしこの蒸気機関車は優秀であったために、あちこちの私鉄や専用線などに譲渡され、ほとんどの機関車が長期にわたって日本全国で活躍しました。

この型の蒸気機関車が在籍した鉄道は極めて多岐に渡ります。日本鉄道、紀和鉄道→関西鉄道、房総鉄道、博多湾鉄道→西鉄、東京横浜電鉄→留萠鉄道→北海道沼田町の明治鉱業昭和鉱業所専用鉄道、八幡製鉄所、日本製鋼所室蘭工場、芝浦工作機械→東芝機械沼津工場専用側線、大分交通国東線と宇佐参宮線。

川越鉄道は武蔵水電、帝国電灯を経て、西武鉄道(初代)となりましたが、この2号蒸気機関車は合併前の1918年に防石鉄道の開業に備えて譲渡されました。車籍は防石鉄道が廃止となる1964年まで残されていました。

もう1台の川越鉄道の1号蒸気機関車は、1943年頃に多摩川線へ転出し1949年まで使用されました。後に淀川の河川工事で使用するために建設省に譲渡されましたが、使用不適(重すぎた)のために解体されたそうです。

この型は蒸気機関車の最末期まで残っていたので、実に4台も保存されています。この2号蒸気機関車は山口県防府市の防府駅近くにある鉄道記念広場で、客車2両とともに保存されています。

国鉄の籍を得た10型15は最後に活躍した留萠鉄道の廃線後沼田町の文化財に指定され、1989年から沼田町ふるさと資料館で保存されています。同じ留萌鉄道で廃車となった17はデパートで個人に販売されるという面白いエピソードを残していますが、最終的に岩手県遠野市の「万世の里」で保存されています。17の生涯は「はしれクラウス」という子供向けの絵本にも描かれています。

大分交通宇佐参宮線の26は廃車後、宇佐神宮境内に保存されています。後にその履歴を題材として子供向けの絵本「しあわせなクラウス」が出版されました。

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