古い車輌の写真

防石鉄道 3 客車

RP065 Web#=121 掲載2008/5/6

1970/8/16に周防宮市車庫の跡地で撮影した客車です。終点の堀駅に向かってロコと5両の客車が列車に仕立てられたような形で保管されていました。
防府駅方から・・ハニフ1 + ハ1or4 + ハ4or1 + ハ3 + ハ6 + 2号機・・堀駅方
ここを訪問したのはまだ暑い夏で、背の高い夏草が茂り放題で足場がとても悪く写真を撮りにくい所でした。現在は防府駅の近くで2号蒸気機関車と共に客車が2両(ハ6とハニフ1)だけ保存されています。木造車体の客車は破損が酷かったので、ほとんど車体新造のような形で大修繕を受けているようです。復元に際して塗装は下地の木目が透けて見えるワニスのような塗料が使われました。

ハ6

列車?の先頭は長さ8m自重5.4t定員76名という大型2軸客車のハ6でした。1899年東京平岡工場製で中国鉄道(現JRの津山線)のハ68として竣工しました。国鉄に買収され1948年に防石鉄道に払い下げられハ6となりました。2軸客車の乗り心地をよくするために長いスパンの軸バネが採用されているのに注目してください。

ハ3

2両目は台枠にハ3という車号が読み取れます。ハ1からハ4までの4両は防石鉄道が開業する際に後述のハニフ1,2と共に1919年に九州の枝光鉄工所で作られました。当初はサイドに扉が並んでいる古いタイプの客車でしたが、1936年にここの車庫で大改造(というよりも台枠だけを使って、車体新造)を受けてこの形態になりました。

ハ1 or 4

開業時に用意したハ1〜4の内ハ2は一足先に廃車となったので、この写真はハ1かハ4ということになります。長さは8m自重5.4t定員は46名でした。

ハ4 or 1

この写真はハ4かハ1です。ご覧のように塗装が完全に剥げてしまい、番号を読み取ることが出来ませんでした。私はあちこちの木造車輌を見てきましたが、ここまで酷く塗料がはげてしまったケースは他に知りません。粗悪な水性塗料でも使っていたのでしょうか?

ハニフ1

開業時に2輌用意された荷物三等合造車のうちハニフ1です。ハ1〜4と同様に1919年に九州の枝光鉄工所で作られました。ここの車庫で大改造(というよりも台枠だけを使って、車体新造)を受けてこの形態になりました。長さは7m自重5.6tに荷物0.3tと定員20名の乗客を載せました。

明治型の区分室客車もいいのですが、このシンプルなオープンデッキ型の荷物三等合造車も模型ファンの心をくすぐる好ましい形ではないでしょうか?2輌作られましたがハニフ2は一足先に廃車となり、周防宮市駅構内で車体だけが倉庫となっていました。

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