古い車輌の写真

電気式ディーゼル機関車 DD12とDD50

DD121

RJ035 Web#=126 掲載2008/5/11 修正1 2008/8/27

太平洋戦争が終わってからアメリカ軍を中心とする連合軍が日本に進駐することになりました。進駐軍側は、日本の鉄道が爆撃で壊滅状態になっていることを予想して、自前のディーゼル機関車を持ち込みました。アメリカの工場引込み線などでよく使われていた小型の汎用ディーゼル機関車を、3フィート6インチゲージに設計変更して8両をフィリピン経由で運び込みました。ところが進駐軍が日本に到着してみると爆撃の影響はほとんどなく、鉄道は順調?に運行されていたので、機関車の持ち込みはこれだけとなりました。

アメリカの技術で作られたものなので、大陸横断鉄道の大型ディーゼル機関車と同じ様にディーゼルエンジンで発電機を回して電気を作りモーターを回すという電気式でした。電気系統と車体はGE(ゼネラル・エレクトリック)社製、エンジンはキャタピラー社製でした。低速の入換専用機でしたが、堅牢で故障が少なく取り扱いの楽な機関車であったので、長く使われ廃車となったのは1974年のことでした。当初はUSARMY8500形と称していましたが国鉄に5両が払い下げられ、DD12型となりました。この写真は久里浜機関区に2両配属されたうちのDD121です。塗装は原型のマルーン一色ですが、後にディーゼル機関車標準色に塗りかえられました。重量は47トン、180馬力のディーゼルエンジンを2台搭載していました。
この写真は1963年の春に横須賀駅で撮影しました。横須賀に長く住まわれた親切な方に教えていただいたのですが、DD12が停車している線は横須賀駅からアメリカ海軍の基地につながる引込み線です。逗子に有った弾薬庫から弾薬を運ぶのに使われていて、DD12やDD11、B20などが入換用に活躍していました。

DD501

国鉄は蒸気機関車を全廃してディーゼル機関車に置き換えて煤煙の無い快適な旅行ができるようにとディーゼル機関車の開発に尽力していました。最初の本線用ディーゼル機関車として就役(1953年三菱重工三原製作所製)したのが、このDD50形電気式ディーゼル機関車です。鉄道車輌に収容できるほどのコンパクトで強力なエンジンの開発が出来なかったので、写真で見られるように2台の独立した機関車を背中合わせに連結して常時2輌一組で使われるものでした。搭載しているエンジン(スイスのスルザーから技術導入)は1050馬力の非力なものでした。
就役当初はマルーン一色で蒸気機関車のケムリに燻されて黒くなりがちで、パンダのような運転台窓と台枠まで下がった妻面が醸し出す異様なデザインは極めて不評でした。

DD504

1954年に作られた第2次型のDD50は運転台の窓が広くなり妻面と台枠がデザイン的に分割されて、後のDF50形に近い少しマトモな格好となりました。DD50形は運転整備重量は僅か60トンでした。
このDD50の写真は1975/3/29に米原駅の構内で撮影しました。

DD506

DD50形は非力な割りに軸重が重く常に2輌セットで使用しなければならず、冬の旅客列車には必須の暖房用蒸気発生装置(SG)を搭載しておらず使いにくかったことから量産は見送られました。

DF50牽引の貨物列車

DD50の後継機として作られたのが写真のDF50形電気式ディーゼル機関車です。当時は液体式変速機の開発が間に合わず、スイスのスルザーやドイツのマンから技術導入をした高価なエンジンと複雑な電気式の組み合わせしか選択肢がありませんでした。138輌も作られましたが決定版ディーゼル機関車である液体式のDD51が大量に作られるようになってからは、亜幹線用となりました。サイト・オーナーはDF50のデザインは好きだったのですが、不思議とマトモな写真を撮る機会がありませんでした。
1965/4/1国福知山線生瀬駅で撮影。

       前のページ 次のページ