古い車輌の写真

南海電鉄の電気機関車 2

ED5125

RP090 Web#=157 掲載2008/6/22

1970/11/3に羽倉崎の留置線で撮影したED5121形5125。

ED5127

1970/11/3に堺東駅で撮影したED5121形5127。

ED5131

1970/11/3に堺東駅で撮影したED5121形5131。

木南車輌製造株式会社

南海型の電気機関車を作った木南車輌製造株式会社は大阪府堺市で1933年から1949年まで、おもに地方の私鉄電車や路面電車を製造していました。創設者の木南吉三氏は小学校を卒業後京阪電鉄に就職し、独学でドイツ語と電気の技術を学び、大阪高野鉄道で技師として活躍しました。1933年に独立して、南海の工場に間借りする形で車輌の改造や新造を始めました。1939年に堺に広い車輌工場を建設。西淀川に鋳鋼工場を建設し台車の製造も手がけるようになりました。戦時体制下で大手車輌メーカーが国鉄や中国向けの製造で忙しかった時代に、地方私鉄のために既成の設計で車輌を納めています。1945年の堺市空襲で堺の車輌工場を焼失し、1949年の台風で西淀川の鋳鋼工場を失いました。1949年に倒産し、再建の努力がなされましたが新会社は長くもちませんでした。

北陸鉄道 石川線 ED201

1938年に木南車輛製造で作られ、金沢電気軌道ED1として就役した凸型電気機関車です。1949年に自重20tにちなんでED20形ED201に番号が変わりました。1962年に前後の機器室を延長して印象が変わりました。1986年にはスノープラウを取り付ける枠が設置され、北陸鉄道石川線の除雪用に活躍しています。
北陸鉄道石川線新西金沢駅留置線にて1977/3/21撮影。

豊橋鉄道 渥美線 デキ201

渥美電鉄の発注により1939年に木南車輛製造で作られた凸形電気機関車です。就役当初はED1と称していましたが、名鉄に合併後はデキ151となり、豊橋鉄道となってからもその番号を名乗っていましたが1968年に改番がありデキ201となりました。主として花田貨物駅での貨車の入換、国鉄との貨車の授受に使われていました。1984年に廃車となり有蓋貨車ワム21とともに、伊良湖フラワーパークに保存されています。
1984/01/21豊橋鉄道渥美線花田貨物駅にて撮影。

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