古い車輌の写真

南海電鉄の電気機関車 3

ED5151

RP091 Web#=173 掲載2008/6/22

1943年南海鉄道(南海電鉄の前身)が戦時の貨物需要に対して南海本線で使用するため東芝で1両製造しました。戦争だったので独自の設計というわけにも行かず、東芝の40トン戦時標準型が採用されました。ところが南海鉄道山手線(現在の阪和線)での貨物需要に応じるためにED1150形ED1151として山手線に就役しました。山手線が戦時買収となったときに、この電気機関車は南海鉄道本線に戻され、そのままの番号で使われていました。

1949年にED5151形のED5151へ改番されました。その後1971年にED5151形は3両とも重連対応化工事を施工され、1973年には1500Vへの昇圧工事を受けています。1970/11/3南海電鉄本線堺東駅にて。

ED5153

東芝40t標準型電気機関車は速度が低いけれども、強力であったために1948年に同じ東芝で3両(ED5152〜5154)が増備されることになりました。ところがED5154だけは当時の重要産業であった石炭産業で使用するために三井三池港務所専用鉄道に譲渡されました。

ED5151と同じ様にED5152とED5153は重連対応化工事と昇圧工事を受けましたが、1977年本線の貨物営業が廃止となったために余剰化し1978年に3両とも廃車解体されています。1971/9/12南海電鉄天王寺支線天王寺駅にて。

ED5201

1963年に東芝府中工場で製造されたED5200形ED5201です。ED5200形は、ED5201〜5204の4両が製造されました。丸みを帯びたボンネットやキャブが特徴のスマートな凸形電気機関車でした。弱界磁制御を持っていたので電車に負けない高い定格速度の高性能機関車でした。1973年に使用電圧が1500Vに昇圧され、モーターの交換や前照灯のシールドビーム化などが実施されました。2輌目につながれているED5202が後に三岐鉄道のED301となりました。1970/11/3南海電鉄本線堺東駅にて。

ED5204

1984年の南海電鉄における貨物輸送の全面廃止に伴い4両とも廃車となりました、そのうちの1両(ED5202)だけは、同年に三岐鉄道に譲渡されてED301形ED301となりました。ATC装置を持っていないために富田駅構内の入換作業用に使用されていましたが、後に太平洋セメント藤原工場の入換機となりました。1970/11/3南海電鉄本線堺東駅にて。

C10001?

南海電鉄の機関車を語るときに忘れてはいけないのが、戦後の混乱期に活躍した1-Cテンダー式蒸気機関車C10001〜C10003です。この写真は日本車輌の本店で撮影した同形機の103号(6台作られました)です。詳しくは日車を覗いたという記事を参照してください。

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