古い車輌の写真

南海電鉄の郵便荷物電車

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RP093 Web#=160 掲載2008/6/25

南海電鉄では前面が5枚窓の丸形木造電車(所謂タマゴ、電3形や電4形)を、台車・機器・台枠から屋根や天井・窓枠・扉まで流用して簡単な工程で鋼体化工事を実施しました。この簡易半鋼車は南海電鉄と縁の深い木南車輌製造がたくさん手がけました。戦後の混乱期にはモーターの付替や電装解除などで形式間の入れ替わりなどが多く南海は難解と揶揄されるようになりました。混乱期が過ぎると簡易半鋼車も早期に廃車となりましたが、荷物電車となっていたモユニ1041形は南海本線で1972年の郵便輸送廃止、1973年の荷物輸送廃止に伴って1973年に廃車となりました。

写真1は1970/12/6天下茶屋にて撮影。

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写真2と3は1970/12/6天下茶屋にて撮影。1201形などと比べると木造車流用の窓が一段と小さく、幕板が広いので重苦しい外観となっています。

このモユニ1043は全検完了直後のようで、「手小荷物室」の標記、白帯と「郵〒便」の標記が真新しく輝いていました。

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このモニ1045形は、当初は南海電鉄の大出力電車であるモハ2001形の系列に属する制御車で、クハ2851として就役しました。モハ2001型の相方を務めていましたが、後のモハ1501形(国鉄のモハ63形)と一緒に使われるようになりました。1968年に廃車となった電車の電装品を流用して電動車化され、車内を改装してモニ1045形となり南海本線の荷物列車に使われていました。1973年の南海本線における荷物輸送が廃止となったのに伴い同年廃車となりました。1970/11/3堺東駅にて撮影。

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モニ1045形1047の前身はクハ1911で、1968年に廃車からの電装品を流用して電動車化され、室内を改装してモニ1045形1047となりました。1973年の南海本線における荷物輸送が廃止となったのに伴い同年廃車となりました。1970/12/6天下茶屋にて撮影。

デワ2002

高野山電気鉄道は営業開始に備えて1928年に日本車輌製造本店で、デ101形8両とデニ501形2両を作りました。この路線は50パーミルの急勾配と急曲線が連続する難所で、電力回生制動、急勾配区間での非常用として電磁軌条ブレーキを装備していました。特殊な装備が多かったので、長さが15mクラスながら36トンもの自重があり、初期鋼製車の特徴であるリベットだらけの車体、深い屋根、山岳区間走行に備えて大きなヘッドライトを屋根に左右に分けて2個装備しているという厳めしいスタイルの登山電車でした。

平地で運用されるようになってから1949年にデ101形のみモハ561形に変わりました。モハ563は1968年にデワ2002に改造され社用品輸送に使われていましたが、1971年にそれが自動車輸送に切り替えられたため1972年に廃車となりました。1970/12/6天下茶屋にて撮影。


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