D50 90
RJ046 Web#=174 掲載2008/7/8D50形当初9900形という形式称号で生産が始まり1923〜1931年の間に380輌も製造されました。形式称号がD50となったのは1928年で277以降は9900型としての番号を持っていません。最後の輸入蒸気機関車C52形で採用されていた新しい機器(給水温め器、給水ポンプ)やアメリカ的設計手法(棒台枠、アーチ管)が導入された優秀な蒸気機関車でした。
D50 90には門鉄デフが装備されていましたが、化粧煙突は失われていて単なるストーブ煙突が取り付けられていました。しかし門鉄デフにはこちらの煙突の方が似合うのではないでしょうか?
私が若松機関区でD50に会ったのは、ごく末期の1969/9/20のことで、庫内にはD50 90とD50 140の2台しか残っていません。なぜか余剰が発生しているはずのD51は全く配属されていませんでした。
D50 140
このD50 140はD50型としては最後まで使われ、1971年に梅小路蒸気機関車館に収蔵されました。普通型のディフレクターを装備し、原型の化粧煙突を残していました。
暗いススで汚れた建屋の中の貴重なD50をとるために高価な大型フラッシュランプを使って撮影しています。フロントデッキの上に置かれた大きな給水温め器が目立ちます。
梅小路蒸気機関車館
梅小路蒸気機関車館における晴れ姿のD50 140です。まだ塗装も新しく、漆黒のボイラーが印象的でした。
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