古い車輌の写真

名鉄岐阜市内線 3 550,560,570

554

RP104 Web#=187 掲載2008/7/23

写真1はモ550形554、1976/1/25市ノ坪車庫にて撮影。北陸鉄道が金沢市内線用として1950年に近畿車輛で10輌(2001〜2010)製造しました。車体の前後が細くなっているのは、古都金沢の道が細くて急カーブが多いためです。1967年の金沢市内線廃止に伴い名鉄に売却されモ550形2代目(550〜559)として岐阜市内線で使用されました。

556

写真2はモ550形556、1966/12/27徹明町停留場にて撮影。岐阜市内線では長良北町駅付近にある急カーブのために永らく小さな木造四輪単車が活躍していましたが、この細面で短い電車によってやっとボギー車化が実現出来ました。1969年に555が事故廃車、1977年に559、1988年の岐阜市内線の一部廃止により552・557、1994年に553、554、558、そして1997年に最後の550・551・556が廃車となりました。

561

写真3はモ560形561、1966/12/27徹明町停留場にて撮影。この電車は当初北陸鉄道が金沢市内線用のモハ2200形(2201〜2206)として、1956年に日本車輌製造で6両が製造されました。1967年に金沢市内線の廃止に伴い名鉄に譲渡され、モ560形561〜566と改番されました。同じ様な経歴のモ550形と共に細くて短い車体を生かして急カーブのある岐阜市内線用として長く活躍しました。

563

写真4はモ560形563、1976/1/25市ノ坪車庫にて撮影。廃車は1988年に3輌、1988年に残りの3両が廃車となりました。このうちモ562は1989年に福井鉄道へ譲渡されました。福井市制100周年記念事業として、福武線の併用軌道区間での専用車として、1989年1月1日から12日まで運行され、それ以後イベント運行に使用されました。2001年10月〜11月にかけて、名鉄から借りたモ800形と共に、福井駅前のトランジットモール実験に供用されました。その後で2004年11月に福井鉄道と福井大学、大研化学工業が562を使って新型のリチウムイオン電池を使用した公開実験を行いました。実験終了後は2006年3月に廃車となり、解体予定でしたがジェイアール貨物・北陸ロジスティクスが保存を申し入れ2006年8月に金沢市に移送され保管されています。どこかで綺麗に復元展示されることを期待します。

573

写真5はモ570形573、1966/12/27新岐阜駅前停留場にて撮影。モ570形は名鉄が東京都電6000形を参考に、1950年帝国車輛(現・東急車輛)で3両、1953年〜1954年に日本車輌で2両の計5両が、岐阜市内線の最初のボギー車として作られました。新型車輌の就役に伴って2両が廃車となり、2005年の岐阜市内線廃止によって残りが廃車となりました。

写真6はモ570形573、1976/1/25徹明町停留場にて撮影。10年前の写真5と比べると下記のように多くの変化が見て取れます。
正面のワンマン表示、ヘッドライトのシールドビーム化、塗装が緑とクリームのツートンから名鉄スカーレット、パンタグラフからZ型パンタグラフ、扉の交換。

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