古い車輌の写真

名鉄岐阜市内線 5 インターアーバン

503

RP106 Web#=189 掲載2008/7/25

写真1はモ500形503、1966/12/27徹明町にて撮影。この電車は美濃電気軌道が1920年BD500形(Bはボギー車、Dはデッカー製電装品)として名古屋電車製作所で4輌(501〜504)製造しました。美濃電で最初の木造ボギー車で、名岐鉄道との合併後に形式BD500からモ500に変更されました。
製造当初の電装品はイギリスのデッカー製の2個モーター直接制御車で、台車はブリル76E-1でした。ダブルルーフの木造車体、オープンデッキでしたが、後にデッキが改修され、集電装置はビューゲル化されました。木造の車体は外側に鋼板を貼り付けられ、簡易鋼体化車(所謂ニセスチール車)となりました。撮影した頃は美濃町線で使用されていましたが、1970年モ600形の就役により廃車となりました。

511

写真2はモ510形511、1966/12/27徹明町にて撮影。この電車は美濃電気軌道が1926年にセミボ510形(セミボはセミスチール・ボギーの略)として5輌511〜515を日本車輌で製造しました。半鋼製ボディのボギー電車で市内の併用軌道区間での運行から、郊外まで直通しての高速運行も出来るようになっていました。これは1920年代真までにアメリカで運行されていたインターアーバンの電車の影響を色濃く受けています。大正時代に日本の電車で流行した前面丸型(所謂タマゴ)の半鋼製流線形ボディーを持っていました。美濃電と名岐鉄道が1930年に合併されて形式がモ510型に変更された後しばらくしてから、軌道線の美濃町線へ転属されています。

1967年に岐阜市内線と揖斐線との直通運転が始まり、木造車のモ520形とともに直通運転用の車両として大きな改造を加えられました。ドアステップがドア連動自動折り畳み形に、4個モーター間接制御化、集電装置がビューゲルから菱形パンタグラフに取替、そしてモ520形を専属の制御車にして揖斐線直通で2輌連結高速運転が出来るようになりました。最後まで残ったモ513・モ514は2005年の岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線全廃まで、予備車や臨時列車用として80歳という高齢で活躍していました。戸袋の特徴ある楕円に注目して下さい、これは最後まで原型で残っていました。

522

写真3はモ520形522、1966/12/277徹明町車庫にて撮影。この電車は美濃電気軌道が1923年に日本車輌で5輌製造した木造ボギー車BD505形(Bはボギー車、Dはデッカー製の電装品)506〜510です。美濃電と名岐鉄道が1930年に合併されて形式がモ520型522〜526に変更された後、軌道線の美濃町線へ転属されました。また1964年から1965年の間に車体に鋼板が貼られる簡易鋼体化(所謂にせスチール車)が行われました。1967年に岐阜市内線と揖斐線との直通運転が始まり、半鋼製車のモ510形とともに直通運転用の車両として大きな改造を加えられました。モ520形は従来の直接制御器で2個モーターのまま、新たに本揖斐駅寄り運転台に間接制御器を増設し、モ510形の専属制御車となりました。新鋭車モ770型の就役に伴い1988年までにモ510型の最初の廃車と共にモ520形は全車廃車となりました。特徴のある楕円形の戸袋窓は内側だけが残され、外観は通常のアルミサッシとなっています。

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