古い車輌の写真

名鉄岐阜市内線 6 インターアーバン

542

RP107 Web#=190 掲載2008/7/26

写真1はモ540形542、1966/12/27徹明町車庫にて撮影。この電車は三重合同電気(後の三重交通神都線)が1926年梅鉢鉄工所で製造した501形木造ボギー車です。名鉄が1949年に三重交通から3輌を購入しモ540形541〜543に改番、主として美濃町線で使われました。1960年に541と542に連結器が取り付けられ連結運転が始まりました。また1963年〜1967年にかけて、外側に鋼板を貼り付けて簡易鋼体化車(所謂ニセスチール車)となりました。しかし側面の窓の上部が弧状のカーブを持つ原型を留めていたのは嬉しいことでした。
連結改造された541と542は1970年のモ600形就役により廃車されました。

543

写真2はモ540形543、1966/12/27徹明町車庫にて撮影。経歴は541や542と同じですが、連結改造されなかった543は541や542よりも少し早く1968年に廃車となりました。543の窓は残念ながら単なる四角い窓枠に改造されていました。

601

写真3はモ600形601、1976/1/25市ノ坪車庫にて撮影。1970年に美濃町線の車輌を新岐阜駅まで直通させるための複電圧車として6輌601〜606が車体新造、電装品は旧車のものを流用して作られました。台車は1929年に琴平参宮電鉄向けに製造された電車が履いていた日本車輌製のD12という古いイコライザー形です。当初は連結器を生かして急行列車として2輌編成の運行がありましたが、乗客の減少と共に晩年は単行運用が多くなりました。
601〜605は2000年にモ800形が就役すると廃車となり、601だけは美濃駅跡に展示されています。

603

軌道線も走るために巾がとても狭く、鉄道線の台車を流用したので背の高い電車となり、しかも車体幅が狭い上に前面を少し絞っているためにますます細面(ホソオモテ)というか馬面(ウマヅラ)になりました。屋根の上に並んでいるのは冷房機器ではなくて満員の床下から追い出された抵抗器です。
606だけは予備車として2005年の美濃町線廃止まで残りました。

モ600形は確かに馬面という評言が当てはまりますが、近代的でスマートなインターアーバン電車に成長したと感じられます。アメリカのインターアーバン電車はリベットだらけのゴツゴツしたスタイルや、独特の強烈なアクを振りまいているデザインでした。このモ600形は日本的というか、大人しくて優しいスタイルにまとまっているのではないでしょうか。

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