キユニ16 10
RJ053 Web#=192 掲載2008/7/28写真1はキユニ16 10、北陸本線小松駅(多分)にて1973/6/3撮影。電気式気動車キハ44000形の姉妹車で九州地区用として、1953年にDTD編成3輌編成が5本で15輌作られました。1956年から1957年にかけて国鉄標準の液体式化、車体の運転台側半分を郵便室路荷物室に改造して、キハユニ44100形キハユニ44100〜44109となりました。1957年の称号規定快晴でキハユニ16形キハユニ16 1〜10に改番されました。このうちキハユニ16 9は1965年に再改造され、キユニ16形キユニ16 10となりました。
キハユニ15 9

写真1はキハユニ15形キハユニ159、1974/4/20加古川線の始発駅加古川にて。旅客列車の無煙化を目指して国鉄が試作した電気式ディーゼルカーの成れの果てです。1952年にキハ44000形キハ44000〜44003の4両が製作され川越線等で試験運転され、量産車として1953年にキハ44004〜44014の11両が作られました。当時は車体軽量化のノウハウが蓄積されていなかったので狭い断面の車体、粗末なビニール張りのシート、排気ガスを利用した簡易暖房、防震ゴムブロックを使った簡易台車DT19と、乗客にとっては散々な設備でした。

当時はトルクコンバーターの技術が日本に無かったので、標準型ディーゼルエンジンに発電機を直結し、できた電気でモーターを2台カルダンドライブで動かすという新方式でした。そのためか一輌当たりの保守費用がC58形蒸気機関車1台に匹敵するという高価なものでした。房総半島で普通列車用として使われていました。1957年4月の気動車形式称号改正によりキハ09形(初代)1〜15となりましたが、1957年から1958年にかけて後に標準型として量産されていたトルクコンバーターによる液体式に改造され、同時に運転台側の車体半分を郵便室・荷物室に改造してキハユニ15形1〜15となりました。
キニ15 1

キロハ18形は一般形気動車としては唯一の二・三等合造で、運転台の無い中間車でした。1954年にキロハ181〜5が、1956年にキロハ186〜8の計8両が製造されました。断面が狭くて乗り心地の悪い車体だったので準急列車には使われなくなり、全車が1961年にキハユ15形へ6両、キニ15形へ2両が改造されてしまいました。写真4のキニ151は前身がキロハ184で1978年まで四国で活躍していました。踏切事故から運転台を守るいかめしい補強は四国の改造キユニやキニのシンボルでした。
キユニ17 15

写真5と6はキユニ17形キユニ17 15、1972/5/7山陽本線小郡駅にて撮影。キユニ17形はキハ17形を改造した郵便荷物合造車で、1966年〜1970年に11両が改造された。改造時期により、1, 2と11〜19に分けられます。

国鉄型DCが活躍していたころは鉄道で郵便物や荷物(今の宅急便)なども運ばれていました。幹線では荷物車や郵便車ばかりで編成された列車も在りましたが、ローカル線では1両に複数の機能を持たせたディーゼルカーの合造車なるものが活躍していました。合造車は長い編成の中にあっても、変則的な窓配置で単調さを破ってわれわれを楽しませてくれました。しかも輌数が限られていたので、撮影できた時は「仕留めたゾ!」と喜んだものです。
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