古い車輌の写真

キユニやキハユニ 2

キハユニ26 54

RJ054 Web#=194 掲載2008/7/29

写真1はキハユニ26 54、1970/2/27山陽本線姫路駅にて撮影。1955年からスイスのノウハウによって作られていたナハ10系の軽量客車の設計を生かして、標準の巾を持つディーゼルカーキハ20系が1957年から大量に作られました。キハ10系ディーゼルカーと比べて車体幅が大きくなったことのほかにエンジンが180psのDMH17Cに変更され、ゴムブロックを使っていた簡易なDT19型台車からバネのよく効いたDT22A台車に変更されました。キハユニ26形は暖地向けの郵便荷物合造車として1958年の第2次増備の時から作られました。

キユニ26 8

写真2と3はキユニ26形キユニ26 8、1975/8/24京都駅にて撮影。1955年からスイスのノウハウによって作られていたナハ10系の軽量客車の設計を生かして、標準の巾を持つ準急用ディーゼルカーキハ55系が1957年から作られました。キハ55系の優等車としてキロハ25形が1960年に作られましたが、キハ58系の優等車キロ28形が登場すると1967〜1968年に一般車のキハ26形の300番台に格下げされました。そして1973〜1980年にキユニ26形に再度改造されました。

島原鉄道 キハユ1702

島原半島で営業する島原鉄道は国鉄のキハ17形とキハ17形を2連4本8両購入して、キハ1700形キハ1701〜1703、1705とキハ1601〜1603、1605に改番して1986年まで使用しました。
写真4はキハユ1700形キハユ1702、南島原車庫にて撮影。キハユ1702は車体に約半分(窓ガラスの保護棒が見えます)を郵便室に改造していました。国鉄での郵便車による逓送業務が終わっても、ここ島原鉄道では暫くの間郵便物の逓送業務を続けていました。それは終点近くにある漁港の町まで大型トラックが通れる広い道路が無かったためで、急ぐ郵便物の輸送は鉄道に頼らざるをえなかったためです。

島原鉄道 キハ1703

写真5はキハ1700形キハ1703、南島原駅にて撮影。これも写真から窓ガラスの保護棒が見えますので、大きな改造をしないままキハユとして運用に就いていたと思われます。ディーゼルカーの左側プラットホームの上に見える軽トラックは赤く塗られた郵便局の車です。プラットホーム上屋の上には大きな青空だけが広がっていました。

国鉄型DCが活躍していたころは鉄道で郵便物や荷物(今の宅急便)なども運ばれていました。幹線では荷物車や郵便車ばっかりで編成された列車も在りましたが、ローカル線では1両に複数の機能を持たせたDCの合造車なるものが活躍していました。このような合造車は長い編成の中にあっても、変則的な窓配置で単調さを破ってわれわれを楽しませてくれました。

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