古い車輌の写真

仙山線 作並機関区 1

仙山線 作並機関区

RJ055 Web#=195 掲載2008/7/31
 修正1 2014/2/17

仙台と羽前千歳を結ぶ仙山線(58.0Km)は1937年に全通しました。仙台〜愛子(アヤシ)間は仙台市郊外のベッドタウン、愛子〜山寺間は観光山岳路線で深い渓谷とトンネル、スキー場の連続、山寺〜羽前千歳間は田園地帯、羽前千歳〜山形間4.8Kmは奥羽本線に乗り入れ運行(現在では標準軌の山形新幹線と狭軌の単線が併設)です。
奥新川駅〜面白山高原駅間に仙山トンネル(通称面白山トンネル)全長5,361mがあり、この長いトンネルでの運行に備えて開通当初から作並〜山寺間(20.0km)だけが直流1500Vで電化されていました。このトンネル内には面白山信号場が設けられており、トンネル内で列車交換が可能です。写真1は1966/8/3に撮影した作並機関区の全景です。仙山線の作並機関区はわが国の交流電化発祥の地で、いま全国を結ぼうとしている新幹線の交流電化方式もここ作並で産声を上げました。

2014年の作並機関区

1937年に一部分が直流電化区間として開通した仙山線の山岳線部分(作並〜山寺間)のために、電気機関車の基地が作並に建設されました。
交流電化の試験をするために1955年に陸前落合〜熊ヶ根間が日本で初めて交流で電化されました。色々な方式の交流電気機関車や交流電車が比較試験され、作並機関区は日本で始めての交直流接続駅となり交直流地上切替設備が設置されました。1957年には試験区間が仙台〜作並間に拡大され、交流電化区間における営業運転も始まりました。作並機関区には直流電気機関車の他に、試作交流電気機関車や交流電車が配属されていました。
その後作並機関区は廃止となったようで、写真2は2014年冬の寂しい光景です。

写真3は一段高いところにあった管理棟の前に設置されていた蒸気機関車時代の水タンクです。

2006年の晩秋に山形県の天童オルゴール博物館行く途中で作並機関区の跡地を車窓から見ましたが、ひどく破損した建屋が一棟だけ(写真1中央の白い建物)残っておりました。線路は草ぼうぼうで暗い曇り空と相俟って、関西から来た旅人には経験したことが無いようなとても強い寂寥感を感じました。

仙台と山形を直通するには交流電化区間と直流電化区間を通して運行しなければなりません。仙山線のようなローカル線に高価な交直両用の電車を新造配属するわけにもいかず、写真のように強力な準急用ディーゼルカーキハ55系で運行しなければなりませんでした。1968年に奥羽本線の交流電化のために作並〜山形間の電化方式が直流から交流になり、現在のように交流電車や交流電気機関車が通し運転できるようになりました。

写真5は最も古い交流電機機関車ED901(右側)と当時最も新しい交流試作電気機関車であるED931、(後のED77901、左側)が並んだところです。

写真6はその時の最新鋭機ED93の1号機で、普通旅客列車を牽引して作並駅に進入してくるところです。作並駅で列車はED93形から古い直流電気機関車ED17形に付け替えられて一路山形を目指していきます。

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