古い車輌の写真

仙山線 作並機関区 2 交流電気機関車

ED911

RJ056 Web#=196 掲載2008/8/1

幹線の電化を計画していた国鉄は変電所が少なくて済む交流電化に注目していました。当時商用周波数による交流電化を成功させていたのはフランスだけですが、電気機関車のサンプルだけの輸入(量産機は日本で真似をする)は出来ませんでした。そのために日本で開発をしなければなりませんでした。写真1と2のED911は1955年にイグナイトロン水銀整流器式として三菱電機と新三菱重工業でED451として試作されました。
整流器を搭載した直流電気機関車という余計な死重を積んだ構造になってしまいましたが、起動トルクが強い、勾配における引き出し性能が優れている、空転してもすぐにモーターが勝手に最適回転数に落ち着くという優れた点が認められて、以降の交流電気機関車や交流電車の基本構成となりました。

ED451は1961年にED911に改称されました。また水冷式の保守が大変なイグナイトロン水銀整流器から固体素子のシリコン整流器に取りかえられました。試験が終わり仙山線が全線交流電化となりED78形が就役すると、手間の掛かる試作機は1970年に廃車となりました。

写真を撮影したのは1966/8/3ですが、庫内にはED911とED9121が入場して修理中でした。

ED9111

写真3と4は仙山線仙台駅にて貨物列車を牽引しているED9111、1966/8/3の撮影です。この電気機関車は東芝で1956年に作られました。整流器はイグナイトロン水銀整流器でしたが保守の簡単な空冷式となりました。ED4511は1961年にED9111に改称されました。廃車はED911と同じ頃で、現在は利府町の森郷児童公園に静態保存されています。

この頃残っていた試作交流電気機関車4輌の中で、訪問当日に仕業に就いていたのはこのED9111だけでした。

ED9121

写真5はED9121、作並機関区にて撮影。ED4521として1956年に日立製作所で作られました。この電気機関車は当初エキサイトロン形水銀整流器を採用していて、他の機関車が持つイグナイトロン形との比較試験が実施されました。1959年に整流器がシリコン整流器に取替えられ長期耐用試験が行われました。ED4521は1961年にED9121に改称されました。廃車はED911と同じ頃で、現在は新幹線総合車輌センターに保管されています。

ED901

写真6はED901、1966/8/3仙山線作並駅構内にて撮影。日立製作所で1955年に直接式交流電気機関車として試作されました。構造はシンプルなもので高圧の交流を変圧器で低圧に下げ、制御器は低圧タップ切替器、交流のままモーターに印加するというものでした。当時の日本には商用周波数の大出力モーターを作った経験が無く日立製作所、東洋電機、富士電機で各2台ずつ試作されたモーターを各台車に交互に入れ替えてEB型のようにして試験されたそうです。極めて複雑な構造を持つ交流モーターの保守が大変だったので、1961年以降ほとんど使用されなくなり、1966年に廃車となりました。この辺りの事情は先進国フランスでも同様で、本腰を入れて20輌以上も量産した直接式交流電気機関車がものにならず、ついでに数輌試作した整流器式交流電気機関車で成功しています。

ED441は1961年にED901に改称されました。廃車となってからは写真6のように作並駅構内の側線で保管展示されていましたが、後に解体されました。

これらの試作交流電気機関車は機器こそ最新鋭でしたが、車体のデザインは私鉄向けの優しい日本的な中型電気機関車そのものでした。塗装は当初は国鉄電気機関車標準のこげ茶色でしたが、後に交流電気機関車を表す赤に塗り替えられました。試作機の赤はED75のような量産機の少し紫がかったような赤とは異なり朱赤を帯びているように感じました。裾に入れられているラインの色は鮮やかな黄色、さぞや仙山線の深山幽谷と青空に映えていたことでしょう。アクセントとなる小さなフロントデッキと相俟って模型ファンに訴えるデザインと思っていますがいかがでしょう?

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