古い車輌の写真

ワキ Vol. 2

ワキ700形

RJ067 Web#=207 掲載2008/8/15

ワキ700形は1943年に国鉄(鉄道省)の大宮工場と大井工場で30輌作られた海軍所有の私有有蓋車です。太平洋戦争の開戦に伴い海軍が使用する航空魚雷や航空爆弾の運送が急増しました。これらの兵器は有蓋車での運送が要求されましたが、当時の日本の有蓋車の荷扱い扉は巾が狭く、このような長大な貨物の輸送には不適当でした。そのために作られたワキ700形は14mの長い車体と開口幅が3.5mの両開引戸が車体の両側で互い違いに設置されていました。また車内には荷役用の組立式ホイストが備えられていました。1944年に6両が特攻兵器「人間魚雷回天」の輸送用として屋根開閉式に改造されたと言われています。敗戦と共に海軍所有のワキ700形は大蔵省に所管が移され、戦後の混乱期に荷物車や代用客車!として使用されました。1958年になって国鉄が大蔵省から買い上げて国鉄所有の汎用大型有蓋車となりました。

敗戦直後には連合軍のための軍用客車(後に貨車扱い)として数輌が接収されました。このときは進駐軍用として白帯が車体に表示されていました。
ワキ704→進駐軍番号2727酒保車→進駐軍番号3042荷物車ホミ83 2→ホミ82 5→ナミ82 5→1958年に国鉄ワキ704 貫通路と電灯が設置されていました。
ワキ709→進駐軍の衛生車スミ33 1(走る医学研究室)とセットで視察用ジープ運搬車兼電源車として、1946年コンプレッサ、発電機、ボイラーを搭載しホミ41 1→ホミ82 1→ホミ821→ナミ821→ナミ1830→1958年に国鉄ワキ709

1952年には配給電車クヤ7形(後のクル9210形)に高速で走行できる台車を供給するために、5両が低速旧式のTR20形アーチバー台車に振替られて最高速度が65km/hに下がりました。晩年は大型の車体を活かして救援車として機関区や貨車区で昼寝の毎日でした。

このようにワキ700形は最もたくさん作られた有蓋貨車の中でとりわけ波乱万丈の生涯を送った貨車として記憶に留められるべきでしょう。

ワキ700形 ワキ701

写真1はワキ700形ワキ701、1966/5/28国鉄吹田第一機関区にて。

このワキ701は高速台車TR-24を配給電車に取り上げられ、低速の旧式アーチバー台車であるTR-20形台車に履き替えたものです。大鉄局の吹田貨車区救援車代用として吹田第一機関区の片隅に留置されていました。

写真1と同じワキ701の3年前の状態です。留置されている場所も塗装も全く変化がありません。

これらのワキ700形の車体に巻かれている白帯は救援車を表示するものです。

ワキ700形 ワキ702

写真3はワキ700形ワキ702、1969/9/20国鉄若松機関区にて。

若松機関区救援車代用ですが、これも低速の旧式アーチバー台車であるTR-20形台車を履いています。扉や車体に明り採りの窓が開けられています。妻面にはなにやら怪しげな電気配線が見られます。

ワキ700形 ワキ729

写真4はワキ700形ワキ729、1963/11国鉄神戸港臨港線神戸港駅ヤードにて。

車体には神戸貨車区救援車代用と標記されています。このワキ729は原型の鋳鋼製高速台車TR-24を履いています。

背景の古い倉庫のビルや備え付けのクレーンなどが夕暮れ近い港町のペーソスあふれる情景を演出しています。

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