古い車輌の写真

高松琴平電鉄 Vol. 2 11,92,94

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RP111 Web#=209 掲載2008/8/22

写真1は10形の11、1973/5/1瓦町駅にて撮影。
この10形はもともと京浜電気鉄道41号形で、1921年に藤永田造船所で作られました。1937年に車両称号が41号形からデ41形に変更されました。原型は両運転台の電動車、 前面は半円形で中央運転台。屋根はシングルルーフでしたが、正面中央に設けられる方向幕を避ける為に雨樋がその部分だけ上に曲げられています。

1941年に京浜電気鉄道が東京横浜電鉄に合併し東京急行電鉄となった際に、デハ5120形となり、一部が電装解除されてクハ5120形になりました。戦後、京浜急行電鉄が東急から独立した際にデハ120形・クハ120形となりまた。京急最後の木造車でしたが、1958年に名義上初代600形に改造されました。

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写真3は90形92、1973/5/2今橋駅の留置線にて。

このときに残された6両分の車体を、1959年に琴電が譲り受け、窓配置、屋根はそのままで鋼体化を実施。2両を電装して11〜12、4両を制御車のままで91〜94としました。新しい車体はウィンドウシルとヘッダーを省略した平滑なものでしたが、雨樋は原型のまま流用したため唐破風状の特徴ある形態が残りまた。

長尾線と志度線で600V時代から1983年まで使われましたが、30型の導入に伴い廃車となりました。

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写真5は90形94、1973/5/1瓦町駅にて。

どうもサイト・オーナーはこの電車の正面を見ていると仏壇の装飾(正面屋根部分の唐破風)が思い出されて仕方がありません。厳しい建築の切妻屋根に装飾として「むくり」(上に曲げられること)が付けられ、さらに破風板(ハフイタ)と言う装飾が重ねられます。
城郭建築や、近世の寺院、日光の東照宮などスーパーバロック的なゴテゴテ装飾です。現代でも稀に趣味の悪い大邸宅や料亭の玄関としてつけられることもあります。

写真6は90形94、1973/5/2琴電屋島駅にて。

琴電の電車の中には、近鉄からやってきた櫛型の装飾窓の痕跡が残っていた電車が1台だけ在籍していました。原型はステンドガラスが櫛型の飾り窓に組み込まれていたのですが、この装飾には反感を感じませんでした。洋風の櫛型装飾窓と和風の唐破風の差でしょうか?

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