古い車輌の写真

高松琴平電鉄 Vol. 3 22,24

22

RP112 Web#=210 掲載2008/8/23

写真1と2は22、1973/5/1仏生山車庫にて。
この電車の経歴は近鉄南大阪線の前身である大阪鉄道が1925年に川崎造船所で新造したデロ20形21〜24で始まります。1943年に近鉄の前身である関西急行電鉄に合併された時モ5620形に改番されました。1961年に近鉄から譲り受け、大規模な改造が施されました。正面は丸型5枚窓(所謂タマゴ)から平凡な平妻の貫通路つきとなり、側面の窓上部に残っていた明り取りの櫛型窓が埋められました。22と24は櫛型窓の痕跡が残っていました。台車は南大阪線の1067mm用から信貴生駒電鉄(現近鉄生駒線)の1435mmゲ―ジ用に交換されました。

22のサイドビューですが、二つの窓をつなぐような形の櫛型窓の痕跡に注目してください。原型の電車では、ここには社紋をデザインしたステンドグラスがはめ込まれていました。これはアメリカのインターアーバン用電車の影響があると思います。

24

写真3は24、1973/5/1琴平線瓦町駅にて。
計画では志度線での使用を想定して20形と命名されましたが、主電動機出力が高かったので当初は琴平線で使用されていました。後に志度線で長く活躍しました。この頃の24は櫛型窓が埋められていました。

2006年に長尾線から600形が800番台に改造の上志度線に転属した時に、21と22、24が廃車になりました。23だけは志度線全車冷房化後も動態保存となって残されています。23は室内がニス塗りで残されていたこと、車内の側扉脇に彫刻を施された飾り柱が残っていることなどで選定されました。

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