古い車輌の写真
高松琴平電鉄 Vol. 4 31,33,35,28,56
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RP113 Web#=211 掲載2008/8/30写真1は30形31、1973/5/1瓦町駅にて。 琴電の30形は3世代ありました。このページの30形は2代目で、元は阪神電鉄の881形です。阪神電鉄は当初19mの大型車を計画していたのですが、阪急の三宮延長と省線(昔の国鉄の電車)に急いで対抗するために時間の掛かる施設改良よりも小型の全電動車によるフリークェントサービスを選びました。阪神電鉄によって881形は1941年と1942年に川崎車輌で合計30輌作られました。結局阪神電鉄の車輌大型化は、1954年に3011形の登場で実現されることになりました。
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写真2と3は30形33、1973/5/1瓦町駅にて。 881形の正面貫通扉には大きな縦長のガラス窓と斜めになった真鍮製の手摺が設けられていて、オシャレな喫茶店の入り口を連想させたのか「喫茶店」と言うニックネームを持っていました。この特徴は写真でご覧のように琴電に来てからも保持していました。

阪神電鉄の小型車は地方の中小私鉄では使いやすい大きさだったので、下記のように多数が譲渡されていきました 京福電気鉄道福井支社の越前本線、野上電気鉄道、土佐電鉄、京福電気鉄道京都支社の叡山線(現叡山電鉄)、淡路交通、和歌山電気軌道鉄道線(南海電鉄貴志川線を経て現在の和歌山電鐵貴志川線) 。この中の多くは3フィート6インチゲージで、各鉄道手持ちの台車に交換されています。阪神電鉄時代の4フィート8インチゲージのままで使われたのは京福電気鉄道京都支社の叡山線と高松琴平電鉄だけです。
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写真4は30形35、1973/5/1瓦町駅にて。 高松琴平電気鉄道に譲渡されたのは881形だけで881、882、890、892〜895、899〜903、906、907、909、910の16両です。琴電ではこの16輌を使って、30形電動車13輌と50形制御車3輌にまとめました。
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写真5は30形28、1973/5/1瓦町駅にて。 30形は入線順に30、31、32、・・・・、38、39、29、28、27と付番されました。これは40番台という番号を忌番として避けたためです。番号が逆行するというのは前代未聞で、他の例を知りません。
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写真6は50形56、1973/5/1瓦町駅にて。 50形は入線順に55、56、57と付番されました。これは当時初代の50形の一部がまだ在籍していたためです。このような番号の付け方は他に例が無いと思います。 このシリーズの電車は当初は志度線で就役しましたが1500V昇圧により、全車が長尾線に転属しました。その後1976年に長尾線も1500Vに昇圧されたため1977年に全てが廃車となりました。
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