古い車輌の写真

高松琴平電鉄 Vol. 5 51,52

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RP114 Web#=212 掲載2008/8/31

写真1は50形51、1973/5/1高松琴平電鉄志度線旧今橋工場跡地にて。

現在の志度線を経営していた四国水力電気が、市内線複線化に備えて6輌(51〜56)を梅鉢鉄工所(堺市に有った車輌メーカーで、帝国車輌を経て現在は東急車輌)で1928年に新造しました。半鋼製ボギー車で戸袋窓は楕円窓、扉は両端に寄せられていて当初は裾が垂れ下がっていて扉の内側にステップがありました。これは路面区間での乗降の便宜をはかったものです。直接制御方式で11.7mの短い車体、主電動機出力は38.3kw×2と全くの路面電車でした。

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写真2、3と4は50形52。

1948年頃までに路面から乗降するための扉内側のステップがなくなり、高床ホームから乗降するためのステップが扉の外側に取り付けられました。直接制御式のままで簡易連結器を装備するようになりました。

当初の集電装置はトロリーポールでしが、後にボウ・コレクター(Yゲル)になり、それから下半分がY字型になった琴電独特のパンタグラフ(景山式、TK式)を使用しました。このパンタグラフは写真1の51に載せられているものが半分上がった状態なので、よく分かります。

戦後は志度線と長尾線で使われていました。もともと路面電車規格で小型であったために、1965年に53〜56が、1967年に51・52が廃車となりました。

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