古い車輌の写真

高松琴平電鉄 Vol. 7 62、65、67

62

RP116 Web#=214 掲載2008/9/2

60形譲渡の経緯などは前のVol.6を参照してください。このページの写真は全て1973/5/1瓦町駅にて撮影。
当初は京浜電気鉄道のデ37として新造され、東京急行電鉄デハ5105を経て琴電の62となりました。62は戦中戦後に酷使された木造車でもっとも損傷がひどかったために1953年今橋工場で台枠だけを修理して木造車体を廃棄し10000形とよく似た車体を新造して載せ替えました。新しくなった車体は2扉ノーシル ノーヘッダーで、正面は非貫通2枚窓でした。1966年の志度線の1500V昇圧では、簡易鋼体化車は1968年までに廃車されましたが車体が新造された62と65は昇圧改造されています。1981年に貫通扉が設けられています。1994年の瓦町駅近代化に伴う志度線分断で62は長尾線で運行されるようになりました。62は2002年に廃車となりましたが、その折に旧塗装に復元されてさよなら運転を実施しています。現在は「さぬきこどもの国」に休憩室として保存されています。

65

当初は京浜電気鉄道のデ34として新造され、東京急行電鉄サハ5102を経て琴電の72となり、電動車に改造されて65となりました。
最後まで未改造だった木造車の72は1960年に車体を新造し載せ換えられると同時に電動車に改造され、60形65に改番されました。新しい車体は62と同じ2扉ですが張上げ屋根で、上段Hゴム支持のバス窓を採用、前面は最初から貫通扉が設けられていました。

1994年、瓦町駅近代化に伴う志度線分断により、65は志度線で運行されるようになりました。2005年には塗装が赤とクリーム色から、旧型車標準色である茶色とクリーム色に変えられました。その後2006年に長尾線に転属しました。2007年8月からは動態保存車になったのですが、台枠の損傷のために2007年秋にさよなら運転が行われた後で廃車解体となりました。

67

67は他の60形とは全く異なる経歴を持っていました。もともとは宮城電気鉄道(現在のJR仙石線)が1926年に日本車輌製造東京支店で新造した木造付随車サハ301形サハ301〜303の中のサハ302で、鉄道省に買収される直前に制御車に改造されクハ300形クハ302となりました。買収後も同じ仙石線で番号もそのままで使われていましたが、3輌とも1952年に廃車となり高松琴平電気鉄道に譲渡されました。クハ302は琴電では2000形220号(琴電での習慣で形式称号は1000単位、番号はその1/10で10番刻み)となりました。1965年に鋼体化されクモハに改造されると同時に、60形67号に改番されまました。但し62や65のような新しいデザインの車体に載せ換えることはなく、元の木造車の面影を残したまま小さい窓の3扉ロングシートで鋼体化されました。

琴電にやってきた残りの2両の制御車のうち、2000形210号は木造のまま1969年に廃車されました。2000形230号は1957年の鋼体化後も制御車として使われていましたが1998年に廃車となりました。
67号は2003年に茶色とクリームの旧型車レトロ色に塗り替えられて62とさよなら運転を行ってから廃車となり解体されました。

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