古い車輌の写真

高松琴平電鉄 Vol. 10 230、710、720

230

RP119 Web#=220 掲載2008/9/5

写真1は2000形230、1973/5/1今橋の留置線にて。

宮城電気鉄道(現JR仙石線)は1926年日本車輌製造の東京支店での木造の付随車サハ301形を3輌サハ301〜303新造しました。国鉄買収直前に制御車に改造されクハ301形クハ301〜303となりました。国有化後もそのままの番号で仙石線で使用されていましたが1952年に廃車となり高松琴平電気鉄道に譲渡されました。琴電では2000形210、220、230として琴平線に就役。210は木造のまま1969年に廃車、220は1965年に鋼体化され、モハに改造されると同時に60形67号に改番されました。67の詳細はこの記事のVol.7をご覧下さい。2000形230は1957年の鋼体化後もクハとして使われていましたが1998年に廃車となりました。写真でご覧のように鋼体化されているとはいえ、床下には木造車の象徴である立派なキングポストが残されていました。

710

写真2は7000形710、1973/5/1瓦町駅にて。

北総鉄道(後の総武鉄道を経て1944年に東武鉄道に合併)が電化に備えて1929年に、日本車輌東京支店でモハ1000形を4輌、クハ1200形を2輌新造しました。東武鉄道に合併後も古巣の野田線で使われていましたが、63系(後の7300系)電車の割当を受けるときに条件として、この系統の電車が地方の私鉄に売却されることとなりました。1947年にモハ1000形のモハ1001と1002、とクハ1200形のクハ1201が高松琴平電気鉄道へ供出譲渡されました。
琴電ではモハ1001と1002は7000形710と720、クハ1200形は9000形910となり、琴平線に配属され長く活躍しましたが1981年に710と720は廃車となりました。

720

写真3は7000形720、1973/5/1瓦町駅にて。

写真でご覧のように関西の電車とは全く異なった、関東のいかつい武士的な顔つきに注目してください。

1974年には9000形910がモハ化され7000形730となりました。730は志度線に転属するときに再度クハ化され880形880となりました。880は予備車として長く在籍していましたが2000年に廃車となりました。

       前のページ 次のページ