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古い車輌の写真
高松琴平電鉄 Vol. 11 810、820、850、960810![]() 写真1は8000形810、写真2は820、共に1973/5/1瓦町駅にて。 この電車は豊川鉄道(現JR飯田線)で1940年に増備車としてクハ100形101と102の2輌が木南車両で新造されました。半鋼製の車体は2扉で転換クロスシートが装備され、張上式の屋根に埋め込み式の前照灯を備えた優れた車でした。両運転台のモハとして計画されていたのですが、別のモハと編成を組むために片運転台のクハとして竣工しました。1942年に両運転台に改造されています。 820![]() 850![]() この電車は当初南武鉄道(現JR南武線)が増備車として1942年に汽車会社でクハ250形クハ251〜255の5輌を新造した半鋼製車です。1941年に10輌作られたモハ150形と同じ設計のクハに相当し、関東に多いスタイルでした。よく似た電車は帝都電鉄、東横電鉄、目黒蒲田電鉄、鶴見臨港鉄道など数多く作られていました。 買収後も南武線で私鉄時代の番号で使用されていましたが、戦災で失われた1輌を除き宇部線、ついで可部線に転属しました。1953年の車輌称号規定改正でクハ6010の6010〜6013となりました。1963年に国鉄を廃車となり1輌が琴電に譲渡され850となり、1998年まで運用に就いていました。 960![]() この電車の前歴は1927年と1928に新造された国鉄のオハ31形オハ31137とオハ31299という客車に始まります。よほど車輌のやりくりに苦労していたものと思いますが、1964年に国鉄から購入した客車を仏生山の工場で車体は客用扉を2箇所新設して流用、デッキ部分を運転室に改造する予定でした。当時阪神電車と玉野市交通局から購入した電車を整備するのが優先されたので、オハ31の工事はいったん凍結されていました。工事を再開するに当たって台枠のみの流用で車体新造に変更されました。950は1997年に、960は1984年に廃車になりまた。 前のページ 次のページ |