古い車輌の写真

高松琴平電鉄 Vol. 11 810、820、850、960

810

RP120 Web#=221 掲載2008/9/6

写真1は8000形810、写真2は820、共に1973/5/1瓦町駅にて。

この電車は豊川鉄道(現JR飯田線)で1940年に増備車としてクハ100形101と102の2輌が木南車両で新造されました。半鋼製の車体は2扉で転換クロスシートが装備され、張上式の屋根に埋め込み式の前照灯を備えた優れた車でした。両運転台のモハとして計画されていたのですが、別のモハと編成を組むために片運転台のクハとして竣工しました。1942年に両運転台に改造されています。

820

国鉄買収後も長く古巣の飯田線で使われていましたが、1952年に更新修繕が行われ片方の運転台が撤去され乗務員扉が埋込まれて客用窓となり通風器のグローブ型に取り替えられました。クハ101は雨樋が通常の位置になり、クハ102は前面が非貫通化され印象が変わりました。共に1952年に宇部電車区に移り、ついで1953年に府中町電車区(後の府中電車区)に転属して福塩線用となりました。同年両形式称号規程改正によりクハ5610形クハ5610とクハ5611に改称されました。1962年に廃車され、高松琴平電気鉄道に譲渡されました。琴電ではクハ5610が8000形810、クハ5611が820となって琴平線に就役しました。820は後にモハ化されています。廃車はどちらも2003年です。

850

写真3は850形850、1973/5/1瓦町駅にて。

この電車は当初南武鉄道(現JR南武線)が増備車として1942年に汽車会社でクハ250形クハ251〜255の5輌を新造した半鋼製車です。1941年に10輌作られたモハ150形と同じ設計のクハに相当し、関東に多いスタイルでした。よく似た電車は帝都電鉄、東横電鉄、目黒蒲田電鉄、鶴見臨港鉄道など数多く作られていました。
買収後も南武線で私鉄時代の番号で使用されていましたが、戦災で失われた1輌を除き宇部線、ついで可部線に転属しました。1953年の車輌称号規定改正でクハ6010の6010〜6013となりました。1963年に国鉄を廃車となり1輌が琴電に譲渡され850となり、1998年まで運用に就いていました。

960

写真3は950形960、1973/5/1瓦町駅にて。

この電車の前歴は1927年と1928に新造された国鉄のオハ31形オハ31137とオハ31299という客車に始まります。よほど車輌のやりくりに苦労していたものと思いますが、1964年に国鉄から購入した客車を仏生山の工場で車体は客用扉を2箇所新設して流用、デッキ部分を運転室に改造する予定でした。当時阪神電車と玉野市交通局から購入した電車を整備するのが優先されたので、オハ31の工事はいったん凍結されていました。工事を再開するに当たって台枠のみの流用で車体新造に変更されました。950は1997年に、960は1984年に廃車になりまた。

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